復興日本 東日本大震災10年

第3部 未来へ(1)緊急参集「空振り恐れず」

2月13日午後11時8分。寝床に入ろうとしていた坂井学官房副長官は、東京・赤坂の議員宿舎で強い揺れに襲われた。速報が知らせた最大震度は福島、宮城両県で6強。閣僚級に緊急参集がかかるレベルだ。慌てて着替え、1階に下りたところで菅義偉(すが・よしひで)首相とばったり会った。発生から約20分後には、2人の姿は首相官邸にあった。

土曜の深夜だったが、その頃には官邸裏側の通用口に向かって職員二十数人が自転車で参集していた。

「津波は?」「今回の規模では被害の恐れはないとのこと!」

官邸内の危機管理センターに職員らの怒号が響いた。各省庁から送信されてきたファクスやメール、メモ書きなどを職員が情報共有システムに読み込ませていく。各省庁のリエゾン(連絡員)も会議室に集まり、鉄道、電気、水道、通信などの被害情報を報告。これらを受けて担当参事官が発表文案を作り上げた。

「政府一体となって災害応急対策を進めてまいります」。翌14日午前0時ごろ、加藤勝信官房長官の会見がテレビ中継された。この地震で東北新幹線が10日間不通になり、死者も出たが、「大震災」のレベルではなかった。それでも14日午前9時から官邸では首相や防災担当相らが出席する関係閣僚会議が開かれた。

閣僚会議が急増

「対処のフローは大きく変わらないが、関係閣僚会議が頻繁に開かれるようになった」

平成23~25年に内閣参事官として官邸で災害対応に当たった平井秀輝・水源地環境センター理事長は震災後の変化をこう指摘する。7年の阪神大震災以降に起きた主な災害で、28年までに開かれた関係閣僚会議は計8回だった。それが、29年は3回、30年に12回、令和元年は13回と近年急増している。