書評

『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』荻野アンナ著 背後にある現実を超えて

『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』荻野アンナ著
『老婦人マリアンヌ鈴木の部屋』荻野アンナ著

 著者自身が書いた本書の紹介文に「現在の五〇代から六〇代の、ことに女性は、中年と老年のはざまで座り心地の悪い椅子に身を預けているようなものではないか。そこに親の介護がのしかかる。若くはないが、どう老けていったらいいのか分からない人たちを描いてみたいと思った」とあった。

 その通り! と心の中で拍手をした。89歳の作曲家の父と、間もなく87歳になる女優の母を抱え、独身の女である私が思っていること、そのままである。けれども私は、本書をなかなか手にすることはできなかった。ちょっと怖かったのである。それに世の中は今、なんと実体験をつづる本であふれかえっていることか。読みたいけれど、いささか頁を繰るのに躊躇(ちゅうちょ)する。そんな葛藤を「書評なんだ! 読まなくちゃ!」とかなぐり捨て、ゆっくりと本を手にした。

 ホッとした。と言うか、作家の魂を見たような気がして、個人的にたいそう勉強になった。もちろん作者の実際の状況は過酷だ。しかしそのままには描かない。あらゆる状況を料理して「小説」に昇華する。90歳のマリアンヌ鈴木は何となく著者を彷彿(ほうふつ)とさせるが、登場人物の不思議な、しかしリアリティーあふれるキャラクターと相まってある種の「世界」に読者を落とし込む。現実と創作の狭間(はざま)で、それこそ次第に読者は「座り心地の悪い椅子」から立ち上がる準備をし始めるのかもしれない。

 感じたのは作者がフランス文化をまといながら、日本文化も落語まで学んだ雰囲気が醸し出されていることだ。一話に30、二話に16、というような不規則なナンバリング分けがあり、一つのナンバー内の行数は長かったり短かったりで、そこも不規則だ。なんというのか、不思議なリズムがそこにはある。

 両親やパートナーの介護、看取り。そして自身の病気など、背後にどんなにすさまじい現実があろうとも、それを超えたところに見える「何か」を読者は感じ取る。裏打ちの意味、価値。そして作家としての矜持(きょうじ)が感じられるのである。

 読み終わったとき、私は座り心地の悪さに文句を言わず、ちょっとこの椅子から立ち上がってみようかと肘掛けをたたきながら思った。(朝日新聞出版・1600円+税)

 評・神津カンナ(作家)