島を歩く 日本を見る

日本固有の地 今も昔も 竹島(島根県隠岐の島町)(下) 小林希

【島を歩く 日本を見る】日本固有の地 今も昔も 竹島(島根県隠岐の島町)(下) 小林希
【島を歩く 日本を見る】日本固有の地 今も昔も 竹島(島根県隠岐の島町)(下) 小林希
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隠岐(おき)諸島にある島後(どうご)島の西郷港に、「竹島は今も昔も隠岐の島」という横断幕が掲げられている。韓国が不法占拠を続けている竹島は、隠岐の島町に属する。

外務省のホームページなどによると、江戸時代から日本人は竹島で漁猟(ぎょりょう)をしており、明治38年には政府によって島根県に編入された。終戦後、1951(昭和26)年に署名されたサンフランシスコ平和条約は、日本による朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄すべき地域として「済州島(さいしゅうとう)、巨文島(きょぶんとう)、鬱陵島(うつりょうとう)を含む朝鮮」とし、竹島を含めなかった。

しかし、1952(昭和27)年1月、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領が「海洋主権宣言」を発出し、いわゆる「李承晩ライン」を国際法に反して一方的に設定し、竹島を取り込んだ。1954(昭和29)年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船が島から銃撃され、韓国の警備隊が駐留していることが確認された。

日本政府は、これまで3回にわたって国際司法裁判所への付託を提案しているが、韓国側はすべて拒否している。

隠岐の島町の多くの漁師も、竹島へ行けなくなった。それでも命がけで竹島へ向かう久見(くみ)地区の漁師たちは、出航前に地元の伊勢命(いせみこと)神社を参拝し、「帰って来られないかも」とつぶやいたという話が地元に残る。

平成26年、久見の港を見渡せる吉浦野営場に「竹島之碑」が建立された。全国の青年神職が竹島の返還を祈ったものだ。揮毫したのは、隠岐の島町郡にある水若酢神社(みずわかすじんじゃ)の忌部正孝宮司(73)。「古来、日本の神様が守ってきた領土。神職が行動するのは当然のこと」という。

水若酢神社は、国土開発や海上鎮護、北方防衛の任に仕えた御祭神、水若酢命(みずわかすのみこと)をまつる。大陸を見据え、国土を守る防人(さきもり)の島にとって重要な神社であった。

神社の多い隠岐諸島では祭事に必要な酒造りの歴史も古い。良質な日本酒を製造する「隠岐酒造」では、瓶に貼るラベルに、竹島を含めた隠岐諸島の図絵をプリントしているものも全国へ販売している。

隠岐の島町を歩くと、竹島について平和的解決を望む声も聞こえてくる。ただ、現実的には難しいと感じる。昨今、韓国側は竹島内に人を移住させて寄宿舎や埠頭、ヘリポートを建設したり、定期船を運航して観光客を上陸させたりするなど、わが物顔の振る舞いを続けているからだ。

日本固有の領土を取り戻すために、私たちは強く声を上げていかなくては、と思う。