儒教の祖祭る「孔子廟」は宗教的? 那覇市の公園に建つ施設、大法廷「政教分離」どう判断

 22年に判決があった「空知太(そらちぶと)神社訴訟」では、北海道砂川市が市有地を神社に無償提供したことが、宗教団体への公金提供や特権付与に当たり違憲と認定。神社の行事に地域の親睦的な意義があっても、神社自体は神道の宗教的施設といわざるを得ないと指摘した。

 今回の孔子廟訴訟は、土地を提供した点で空知太神社訴訟に似ている。ただ、政教分離の原則が神道以外で訴訟になるのは珍しく、そもそも儒教が宗教といえるのかどうかも議論の余地がある。

施設の性格がカギ?

 孔子といえば、弟子らに語った「温故知新」などの名言が記された「論語」で親しまれ、日本では中国の思想家、哲学家として知られる。儒教も、歴史的に江戸幕府が重んじたことなどから、学問としての「儒学」と記憶する人も少なくない。

 こうした特殊性から、市側は訴訟で「儒教に宗教的側面はない」と強調。孔子廟には観光資源としての社会的意義がある上、祭礼も沖縄文化を伝える部分があり、久米崇聖会も宗教法人ではないなどとして、施設の宗教性を否定している。

 さらに国内には、湯島聖堂(東京都文京区)や足利学校(栃木県足利市)など、国や自治体が所有する複数の孔子廟があると指摘。他の孔子廟で政教分離が問題になっていないのは、一般に孔子廟が宗教施設ととらえられていないからだと訴えている。

 これ対し原告側は、那覇の孔子廟が宗教的性格の濃厚な施設であることは、学術的にも一般人の感覚からしても疑いないと主張。市が公園に設置を決める際にも「宗教に限りなく近い」などの懸念が内部から上がっていたと批判していた。

 ただ、今回の訴訟で儒教が宗教か否かに決着がつくとはかぎらない。差し戻し後の1、2審判決は、那覇の孔子廟で行われている祭礼を神格化された孔子をあがめる儀式とし、孔子廟も宗教的施設だと認定したが、「儒教一般の宗教該当性」については評価を避けているからだ。

 訴訟は大法廷で審理されており、憲法判断が示される見通し。1、2審同様、那覇の孔子廟が施設としてどんな性格を持っているかが判断のポイントとなりそうだ。