書評

『高瀬庄左衛門御留書(おとどめがき)』砂原浩太朗著

 ■かつての日本人の美しさ

 本書を読み始めて誰もがまず思うのは、物語が紡がれるままにこの文体を味わっていたい。そんな感慨ではあるまいか。このせわしないご時世にあって、新人の第二長編にして文体で読ませる作品があろうとはと、いぶかしく思われる方がいるかもしれない。が、それは違う。

 物語の主人公は、神山藩で郡方(こおりかた)を務める高瀬庄左衛門。五十を前にして妻を喪い、いままた息子を亡くす。そして、気随気ままに絵を描きながら、息子の嫁である志穂とともにひっそりと暮らしている。が、そんな彼のもとにも、藩の政争はいや応なく押し寄せてくる-。

 こう書くと、何やら藤沢周平めくが、誤解しないでいただきたい。砂原浩太朗は第二の藤沢周平にあらず、第一の砂原浩太朗なのだ。

 彼の文体は、確かな重みで作中人物の心奥にいかりを下ろす。たとえば物語の中盤、庄左衛門が、かつて自分が門弟であった道場主の娘、芳乃と再会する場面を見るがいい。庄左衛門は過去に芳乃をめぐって道場の跡取りを何人かの門人と争ったことがある。当時、庄左衛門は「-あのひとは…。突然、ある思いが胸を過(よ)ぎった。おれが勝ったら悲しむのだろうか」と思い至る。

 そして今再会した芳乃の「おすこやかでおられましたか…あれから」という問いに即座に「幸せだったか、と聞いているのだ」と察した庄左衛門は、はじめて過去のしがらみから現在を見はじめる。

 このくだりは、物語の転換点ともいうべき重要さを持っているが、同時に、それぞれの作中人物の心の襞をも表している。それは端的にいって、およそ人々が想像力というものを失っている今、相手の心情を推し量り、己の行動を律する、かつての日本人の美しさが如実に示されているといっていい。

 そして終盤近く、庄左衛門が自分のささやかな暮らしを踏みにじった元凶に対しておごそかな怒りをぶつける場面と、その後を描いた箇所には、爽快さではなく、老いることの哀歓、なお生きることへの歓びとつらさがつづられていく。

 私は、作者がこれからの時代小説界をリードしていく存在になることを信じて疑わない。(講談社・1700円+税)

 評・縄田一男(文芸評論家)