【古典個展】大阪大名誉教授・加地伸行 「鬼滅」と「鬼誅」の違い(1/2ページ) - 産経ニュース

速報

速報

文田健一郎が銀メダル グレコ男子60キロ級

メインコンテンツ

古典個展

大阪大名誉教授・加地伸行 「鬼滅」と「鬼誅」の違い

加地伸行 大阪大名誉教授
加地伸行 大阪大名誉教授

 世はコロナ禍恐怖である。それはコロナが恐ろしいのではなくて、コロナによって死に至ることが恐ろしいのである。

 生か死か-古来、これは人間にとって大問題。というとき、たまたま映画「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」を観(み)にいった。その感想を言えば、生者と死者(鬼)との東北アジアにおける伝統的関係とは違う、と言わざるを得ない。

 中国における大前提はこうである。人は明るい<顯明(けんめい)>の世界において、法や道徳などいろいろな約束の下で生きている。

 しかし、必ず死ぬ。死者はすべて鬼(き)となる、暗い<幽間(ゆうかん)>の世界に入り、その世界における約束に従って生活する。この幽間は、日本では黄泉(よみ)の国。

 すなわち、本来、鬼は死者のことであって、悪者ではないのである。しかし、悲しいかな、死後において悪事を働く者が出てくる。

 どうするか。生のときは、属している一族の族譜(ぞくふ)(系図)からその悪者の名を削り、抹消する。となると、いざ就職しようと思っても、一族の誰一人として保証人となってくれない。となると、裏社会に落ちるか物乞い生活かということになる。

 さらに恐ろしいことが待っている。死を迎えても一族の墓地に入(はい)れない。やむをえず、墓のない幽鬼となってしまう。それが幽霊・亡霊である。彼らは幽間においても居場所がなく、悪鬼となる。また、生の世界においてまともであっても、死の世界に入った後、もし悪業をなせば悪鬼となり、罰せられる。

 『荘子(そうじ)』庚桑楚(こうそうそ)(人名)篇(へん)はこう述べている。「顯明の中に〔おいて〕不善を為(な)す者は、〔その悪〕人〔を〕得て之(これ)を誅(ちゅう)す。幽間の中に〔おいて〕不善を為す者は、〔その悪〕鬼〔を〕得て之を誅す」と。「誅」とはその罪により死刑にすること。

 ここから「鬼誅(きちゅう)」ということばが生まれた。「鬼滅」ではない。すなわち鬼の世界の人々が、悪鬼を誅するのである。