新聞に喝!

コロナが課す「二重拘束」 美術家・森村泰昌

不安定な精神状態が社会に広がっている。言うまでもなく、新型コロナウイルスの感染が収束の兆しを見せないからである。しかしそれは、コロナ自体というよりも、コロナがもたらす二重の拘束状態(ダブルバインド)が、人々に身動きをとれなくさせてしまっているためでもあろう。

二重拘束とは、相反する双方の立場から同時に拘束を受けることを指す。典型的な事例として、感染抑制と経済活動の間に起こるきしみがある。感染拡大をとめることと経済を活性化させること。いずれも正しいがどちらかを選ばなければならず、一方を選べば他方が犠牲になる。命の選択にも近い判断は、誰にとっても重圧でありすぎる。

あるいはこれまでなら、災害が起これば被災地へ赴きボランティア活動に従事するといった行動が全国的に起こり、そのような動きに誰もが共感したものである。しかし今回は事情が複雑だ。かつては人と人とが密接に関わり助けあうべきだったのに、感染防止の観点からは、それも控えなければならない。人と密接であることと距離を保つこと。双方を同時には選べないという二重の縛りが、われわれに大きな負荷を与えている。

とりわけ考えさせられるのが、中国における徹底的なコロナ対策である。強制的な隔離命令、個人の行動履歴の完璧な掌握といった強権発動で感染拡大を抑え、経済面でも中国は独り勝ちの感がある。この現実を目の当たりにしてわれわれは、個人の自由や権利を守る民主的な社会と、効果的なコロナ対策との両立が、二重拘束状態に陥ってしまっていると痛感させられる。フランス革命以降、人類が培ってきたヒューマニズムの危機であるとさえ言える。

もちろん人間というものは意外にしたたかで、二重拘束による思考停止にとどまってばかりいるわけではない。例えば音声専用のSNS「クラブハウス」は一例かもしれない。通常では出会えない有名人とオンライン上で井戸端会議的に対話できる可能性もあるそうで、最近ユーザーが急増しているという。「会わずに会える」という二重拘束を逆手に取った軽快な解決法であろう。とはいえ電子メディアやデジタルトランスフォーメーション(DX)、人工知能(AI)だけが解決への糸口ではない。新聞というある意味古典的なツールだからこそ育める知見というものもあるはずである。二重拘束は難問だが、多様な方法で解決されるべきものだと思う。

【プロフィル】森村泰昌

もりむら・やすまさ 昭和26年、大阪市生まれ。京都市立芸大専攻科修了。ゴッホなど名画や歴史的な人物に擬した写真作品を発表。著書に「自画像のゆくえ」など。