国軍によって拘束されているミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問が、京都大学に在籍していたのは有名な話だ。しかし、日本サッカー界の恩人もミャンマーからの留学生だったことを知る人は、そんなに多くないだろう。名前はチョー・ディン。平成19年に日本サッカーの殿堂入りを果たしている
▶殿堂の説明文によると「大正~昭和初期に画期的な技術的進歩をもたらしたビルマ(現ミャンマー)出身の留学生」とある。具体的には、自らテキストを執筆して実技指導し、キックやパスなどの基本から、短いパスをつないで攻めるショートパス戦法まで伝授した
▶それが、1936年ベルリン五輪でスウェーデンを破る快挙につながり、体格に優れた相手に勝つための日本独特のサッカースタイルの基礎となった。チョー・ディンは大正13年に帰国。その後の消息は詳しくは分かっていない。こんな結びつきがあることも知ってもらいたいと思い、記した。