「我慢…苦しみ続けてきた」 林文子横浜市長、組織の女性に持論

 --自身の経歴を振り返ると

 「自分が生きてきたなかでは、まあ、苦しかった。(女性としての立場などを)理解してもらうのが本当に難しかった。たとえ同性同士でも、どうしても理解できないことはあり、男性と女性の間でもそうだろう。そうしたなか、私自身はただ一言、『苦しかった』という思いしかない」

■「言わないクセ」

 --職場内ではどんな思いを抱いていたか

 「双方がなにか一緒に突破していきたいというときに、私からは何も言えない。本当に我慢した。ただ忍耐しかない。そうすると、うまくいく。我慢し続けているとうまくいった例だろう。ただ、私には言いたいことを言わないクセがついてしまっていて、『それでいいのか』という思いがあった」

 --いまも同じ思いか

 「『忍』の一字で生きてきたが、その呪縛から抜け出し、解放されたのが横浜市役所だった。ただ、最初からではなく、約11年半在籍しているなかで徐々に解放されたといえる」

 --きっかけは

 「(市役所組織という)男の人の文化のなかで、言いたい放題、言い、やり合った。公務員は言いたいことを言わずに我慢する人が多い。しかし、それではいけない。自分がそれまで我慢しっぱなしだったので。(我慢することは)自分の気持ちも傷つけてしまうし、本当のことを言ってくださいと(言い続けた)」

 --市役所内に変化が生まれた

 「いまは、もはや男も女もない。多様性そのもの。いろんな方がいて、なんの差別もなくやっている。そんななかで私がたどり着いたのが、部下をリスペクト(尊敬)するということ。部下全体に対し、尊敬の思いしかない。トップに立つ人が、部下をリスペクトできたときに、最高の組織ができあがるのではないだろうか」

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