話の肖像画

歌舞伎俳優・中村鴈治郎(17)息子も私の母似かな

「上方歌舞伎のおもしろさをもっと多くの人に知っていただきたい」と話す中村鴈治郎さん=大阪市浪速区(安元雄太撮影)
「上方歌舞伎のおもしろさをもっと多くの人に知っていただきたい」と話す中村鴈治郎さん=大阪市浪速区(安元雄太撮影)

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《鴈治郎さんの家は芸能一家。父は人間国宝で文化勲章受章者の坂田藤十郎さん。母は女優で政治家でもあった扇千景さん。妻も日本舞踊家で、吾妻(あづま)流宗家の吾妻徳穂(とくほ)さん。弟の中村扇雀(せんじゃく)さん、息子の中村壱太郎(かずたろう)さんも歌舞伎俳優だ》

私が両親のどちらに似ているか、自分ではわかりませんが、少なくとも仕切り屋のところは母かもしれませんね。幼い頃のエピソードで、いかにも母親らしいなあと思ったのは、私の慶応義塾幼稚舎のお受験のとき、受験番号1番を手に入れるために奮闘したことです。でもね、昔は1番は合格しないという伝説があったんですけどね。母はそんなふうに、なにかにつけ一生懸命になる人です。

ただ、女優や国会議員で忙しかったので、父とふたりだけで一緒に長く過ごす時間はなかなかなかったようです。政治家を引退してから時間ができたので、父の公演の際はずっとついていましたね。地方巡業でバスに乗るときもいつも一番前の席に並んで座っていました。

父が強運だなあと思ったのは、平成2年の三代目鴈治郎襲名の前年、ずっと忙しかった母が参院選に落ちているんです。おかげで襲名の世話をしっかりすることができたんです。

《妻の吾妻徳穂さんとは昭和63年に結婚。ジャンルは違えど、同じ日本の伝統芸能に携わる立場だ》

妻のおばあさまは吾妻流宗家の初代吾妻徳穂さんで、その息子さんが歌舞伎俳優の天王寺屋のおじさん(五代目中村富十郎(とみじゅうろう))。妻にとっては伯父さんにあたる人。父ともよく共演していましたし、私も舞台でご一緒させていただいて教えを受けました。もともと妻とは幼なじみでしたし、そういうご縁の女性と結婚したのも運命でしょうね。

妻は私の舞台をよく見てくれて、気が付いたことは言ってくれます。全然いやではないですよ。やはりこの世界の人ですから言っていることはもっともなんです。

《長男の壱太郎さんは女形を中心に活躍している花形》

回遊魚みたいですよ。つねに走り回って行動している。止まったら死んでしまうんじゃないかな。そんな子です。なんでも自分でやって、抱え込んでしまう。そういうところはうちの母親(扇千景さん)に似ています。もうちょっと落ち着いてやったらって言いたくなりますね。若いから時間はたっぷりあるし、いまは歌舞伎の基礎をきちんと体にたたき込む時期ですから。

私自身は子供の頃、両親の学業優先の方針で、歌舞伎に必要な素養をあまり身につけることなく育ちました。それで若いとき苦労したので、壱太郎には一応、鳴物や三味線など一通りのことは習わせました。あとは彼自身の選択。幸い、驚くほど歌舞伎が大好きな子になりました。

息子とふたりで飲みに行くか?ですって。まさかまさか。誰が息子とふたりっきりで飲みたいですか(笑)。でも歌舞伎公演の初日の終演後は、両親もふくめ家族全員そろって食事をするのが習慣でした。(聞き手 亀岡典子)

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