話の肖像画

歌舞伎俳優・中村鴈治郎(16)幸せ感じた「親子3人芝居」

【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(16)幸せ感じた「親子3人芝居」
【話の肖像画】歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(16)幸せ感じた「親子3人芝居」
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《平成25年11月、東京の国立劇場で、日本三大仇(あだ)討ちのひとつ、伊賀上野の仇討ちをもとにした「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)」が上演された。その配役を見て、誰もがアッと驚いた。二枚目の十兵衛に鴈治郎さんの父の坂田藤十郎さん、十兵衛の老父、平作に鴈治郎さんという、親子逆転のキャスティングだったからだ。平作はその日暮らしの貧乏な荷物持ち。白髪頭のよぼよぼの老人である》

当時、私は50代。父は80代になっていたと思います。実の親子が劇中で、親子や夫婦を演じることは歌舞伎ではしばしばありますが、親子関係が逆転する配役というのは、そうはありません。

みなさん驚かれたようですが、私自身はまったく抵抗がなかった。これは、父が異様に若いから実現した配役だったと思います。

平成13年に、(片岡)仁左衛門(にざえもん)のおにいさんの十兵衛で、(十八代目中村)勘三郎さんが平作を勤められているんです。それを見ていましたからね。この役いいなあと思いましたし、自分もやってみたい、こういうふうにやったらできるんじゃないかなと思いました。

親子逆転の配役は、30年の京都・南座の顔見世の「新口村(にのくちむら)」でも実現しました。このときは、父の忠兵衛、私が忠兵衛の老父、孫右衛門(まごえもん)、弟の(中村)扇雀(せんじゃく)が忠兵衛の恋人の梅川を勤めました。父が亡くなる少し前に、親子3人でこのお芝居が上演できたのはとても幸せなことでした。

当時、父は動くのが少し厳しくなっていましたが、舞台にいるだけで、もう若々しい二枚目の忠兵衛になっているんです。全然、よっこらしょ、という感じじゃない。近くにいて、すごいなあと思いました。

《役柄の幅広さは今や、鴈治郎さんが目標にしていた祖父の二代目鴈治郎さんをもしのぐほどだ。令和元年、東京の国立劇場で上演された「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」では、べりべりとした悪の手ごわさのある渡し守頓兵衛(とんべえ)を勤めた》

こういうお役は、父はもちろんですが、祖父も演じていません。私がもっと若いときに初めて演じた「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」の元・老侠客(きょうかく)、三婦(さぶ)もうちの家では手掛けていなかったようなお役です。

女形(おんながた)の敵役(かたきやく)では、祖父の当たり役だった「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の八汐(やしお)など、とてもやりがいがありました。

こういういろいろなお役をやらせていただいたのを父は見ていて、「伊賀越道中双六」を上演する際、私を平作で使うと言ってくれたんじゃないでしょうか。

まだまだやらせていただきたいお役はたくさんあります。小悪党ながら家族思いの「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)・すし屋」の権太は、いずれぜひやらせていただきたいお役ですね。昔、演じたことのある「宿無団七時雨傘(やどなしだんしちしぐれのからかさ)」(元武士で魚屋になった団七をめぐる愛憎劇を描いた上方の世話物)も最近上演されていないでしょ。初代鴈治郎の当たり役を集めた玩辞楼(がんじろう)十二曲の作品は、これからさらに大事にしていきたい。そのなかでは、弟(中村扇雀)がやっていますが、「藤十郎の恋」も頭にあることはあります。もっと上方の匂いのする役者になっていきたいですね。(聞き手 亀岡典子)

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