《「河庄(かわしょう)」の治兵衛(じへえ)は、成駒家(なりこまや)にとって特別な役どころだ。鴈治郎さんの曽祖父で、戦前の上方歌舞伎の大スターだった初代鴈治郎は、頬かむり姿の風姿の見事さから「頬かむりの中に日本一の顔」と川柳に詠まれた。治兵衛は代々の鴈治郎が洗い上げてきた役どころである》
初めて治兵衛を演じたのは平成16年4月、大阪松竹座の「浪花花形歌舞伎」のときで、弟の(中村)扇雀(せんじゃく)とダブルキャストでした。
その際、治兵衛の象徴である頬かむりの手ぬぐいを普段より少しだけ青く染め、月を描いてみました。客席からは、微妙な色の違いや月の形までわからなかったかもしれません。でも、そうすることが演じる上で気持ちの手助けになり、恋に魂を奪われた治兵衛の姿がより際立つように思ったのです。
《その公演では、扇雀さんは治兵衛が花道から最初に登場する際、ちゃりんという揚幕(あげまく)の音を入れる工夫をした。だが鴈治郎さんは、いつもの静かな出(で)だった。兄弟でも演じ方が違ったのだ》
上方のお芝居は、初役でも自分で工夫して演じるということがよくあります。しかも、うちの家の場合、これほど大切なお役でも、父(坂田藤十郎)は手取り足取りという教え方はしませんでした。「まず、自分で考えてみなさい」という教え方です。特に、治兵衛のような上方和事(わごと)の役どころは、一応、型というか、決まりごとはあるのですが、やはり気持ちが大切ということなのではないでしょうか。
《上方歌舞伎と江戸歌舞伎では同じ演目の同じ役でも演じ方に違いがあるものが多い》
代表的なのは、「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)・六段目」の早野勘平(かんぺい)です。勘平は、しゅうとを殺してしまったと思い込んで腹を切って死んでいくのですが、江戸のやり方は客席の方を向いて切ります。でも、上方の演出は家の隅の方で客席に背中を向ける形でひっそり切るんです。また、浅葱(あさぎ)色の紋服(もんぷく)を着るタイミングも違います。
美しい若者の不運な悲劇をあくまでも美しく描くのが江戸のやり方。上方はもっと写実的に演じます。私自身はリアルな上方のやり方が好きなんですが、いろんなやり方があるのが歌舞伎のおもしろさですね。
《父、坂田藤十郎さんは「仮名手本忠臣蔵」を、男女善悪7役を早替わりも入れて、ひとりで演じるというやり方で上演していた》
いずれ私もやってみたいですね。また、忠臣蔵を、上方の俳優を中心に上方の演出で、物語の最初から最後まで通し上演の形でやってみたい。それがいまの夢のひとつですね。これまで祖父の芸を継承しようという気持ちが大きかったのですが、父が亡くなったいま、父のやっていたことも受け継いでいければと思っています。(聞き手 亀岡典子)