話の肖像画

歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(14)近松座から学んだ歌舞伎

《とはいうものの、気持ちで役を作っていくのは容易なことではない。それは歌舞伎の演技の土台をしっかり身につけた上でのことだからだ》

そもそも私自身、10代の頃はほとんど舞台に立っていなかったため、大学生になって、いざ、古典の演目に出演するようになったとき、本当に何もできなかった。歌舞伎には、武士なら武士、奴(やっこ)なら奴の歩き方がある。お姫さまの座り方というのがあるんです。私の場合、まずはそこからでした。

《昭和56年、鴈治郎さんが22歳のとき、父、坂田藤十郎さんが自主公演の場として「近松座」を旗揚げする。近松門左衛門の作品を研究上演しようという画期的な演劇運動。翌57年、第1回公演「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」を上演した》

まだ歌舞伎の右も左もわからないときです。近松座は、古典をそのまま上演するのではなく、いま上演されていない近松作品を復活上演したり、近松の原作にのっとって上演するという活動でした。資料などをもとに、一から芝居を作り上げていくわけで、私も自分に与えられたお役を自分で考えて作っていかないといけなかったんです。古典もわかっていない時期に歌舞伎のお役を作っていく作業はあまりにも大変でした。

当時、近松座に出てくださっていた(澤村)田之助のおにいさん、(六代目尾上)松助(まつすけ)のおにいさんから「こんなことも知らんのか」と言われながら指導していただきました。ある意味、近松座があったからこそ歌舞伎のさまざまな約束事を教わることができたのだと思います。(聞き手 亀岡典子)

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