島根県・隠岐(おき)の島町に属する竹島(たけしま)は、韓国が不法占拠を続けている。
隠岐諸島の北西約158キロに位置。西島(男島)と東島(女島)を中心に、数十の小島からなる群島だ。ニホンアシカの繁殖地で、近海は暖流と寒流がぶつかる豊かな好漁場だった。約88キロ先には韓国の鬱陵島(うつりょうとう)がある。
外務省のホームページや隠岐の島町によると、17世紀初めに、鳥取藩伯耆国(ほうきのくに)の大谷・村川両家が幕府から鬱陵島への渡航許可を得て以降、竹島は漁猟地や鬱陵島への停泊地として利用されるようになった。遅くとも17世紀半ばに、わが国は竹島の領有権を確立した。
明治37年、隠岐の島町在住の実業家、中井養三郎は、政府へ「竹島の領土編入」などを願い出た。政府は、それまで他国が占領した形跡はなく、近代国際法上の領土取得条件を満たしていると判断した。明治38年1月28日、島根県に編入して隠岐島司の所管とする旨を閣議決定。さらに同年2月22日、島根県は閣議決定の内容を告示した。この日は平成17年に「竹島の日」と定められている。
県から鑑札(許可証)を得た中井ら数名は、「竹島漁猟合資会社」を共同で設立。昭和初期に鑑札を得た五箇(ごか)村(現・隠岐の島町)久見地区の八幡長四郎は、現在、竹島を語り伝える杉原由美子さん(77)の祖父に当たる。
久見で育った杉原さんは、平成20年に故郷へ戻ってから祖父の遺言を知った。それは、「竹島の漁業が日本の手に返るときがきたなら、乱獲から守るため漁業権を獲得してほしい」という内容だった。久見では長年の経験と技術をもって、乱獲を防ぎ、保護も考えながら特殊な方法で漁猟をしてきたのだ。
杉原さんは地元で竹島の聞き取り調査を始め、平成26年に『メチのいた島~語り伝える恵み豊かな島 竹島~』(山陰中央新報社)という絵本を出版した。