本郷和人の日本史ナナメ読み

やはり「鎖国」はあった(下) 「国と国」重要な外交の有無

支倉六右衛門常長画像 (復元模写、東大史料編纂所蔵)
支倉六右衛門常長画像 (復元模写、東大史料編纂所蔵)

ぼくの持論の一つは「日本は一つ、ではない」です。ぼくたちは小学校から、日本は「一つの言語を用いる、一つの民族が、一つの国家を形成して」長い伝統を蓄積してきた、と習います。でもこれは歴史のリアルとはいえない。日本という国号は700年頃から使われますが、「私たちは日本人で仲間だ」という意識は、ずっと後の世でなければ生まれない、と主張しています。

これを鋭く批判したのが、京都・国際日本文化研究センターの井上章一先生でした。先生はぼくとの対談に際して、鎌倉時代の元寇(げんこう)を例に出されました。圧倒的なモンゴル軍と対峙(たいじ)しても、鎌倉武士は一人も裏切らなかったじゃないか。武士たちは「オレたちは日本人だ」という意識を持っていたのではないか、と発言されたのです。ぼくは思わず怯(ひる)みました。なるほどそうした見方があるか、と。その場では有効な反論が思い浮かびませんでしたが、そのあとに、やはり日本人としてのまとまりは希薄である、と改めて考えました。元寇の後に日元貿易が行われたこと、北条本家に近い有力武士までが交易に参加している史実などは、国家レベルで戦争をしているという認識が薄く、オレたちは日本人だという意識もなかったことを物語っていると思うのです。

いま日元貿易と書きましたが、もちろん、日本とモンゴルの間には「国と国」の正式なお付き合いはありません。でも「人と人」レベルの往来はあったし、交易も行われていた。平安後期から博多には中国人街があって、朝鮮半島からも東南アジアからも人がやって来ていた。博多はいってみれば「国際都市」だったのだ、と中世外交史の研究者は説き、その認識は広く共有されています。そうした事象が起きるのは、「日本国」とか「日本人」といった輪郭があやふやだからこそ、とぼくは考えます。

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