「幻の茶釜」芦屋釜の鋳物師 16年の修業終え独立へ 福岡県芦屋町

芦屋釜鋳物師として、この春独立する樋口陽介さん
芦屋釜鋳物師として、この春独立する樋口陽介さん

 室町時代に名品として人気を呼びながら、生産が途絶え「幻の茶釜」となっていた芦屋釜の復活を目指す福岡県芦屋町の町立芦屋釜の里で今春、2人目の芦屋釜鋳物師(いもじ)が誕生する。16年間、研修を重ねてきた樋口陽介さん(40)で、「技術が失われた芦屋釜の復元だけでなく、芦屋を東アジアの鋳物研究・生産センターにしたい」と夢を語っている。(永尾和夫)

 ■「ふるさと創生」機に

 福岡県北部をゆったりと流れる遠賀川。その河口一帯は古くから交易の要衝として栄え、室町時代には、左岸の金屋地区(現・芦屋町中ノ浜付近)は梵鐘(ぼんしょう)や香炉などを中心にした鋳物の産地として知られた。中でも、ここで造られた茶釜は芦屋釜として、茶人の垂涎(すいぜん)の的となった。山口を地盤とした守護大名の大内氏の保護の下、足利将軍家にもたびたび献納した。国の重要文化財に指定されている茶釜9点のうち8点までが芦屋釜で、技術水準と芸術性の評価は今もなお高い。しかし、大内氏が滅ぶとともに衰退。江戸時代初期には、芦屋釜の生産は途絶えてしまった。

 「芦屋釜をもう一度、現代によみがえらせてはどうか」

 芦屋町は平成元年、国の1億円ふるさと創生事業を始めるに際し、町民から寄せられたアイデアを基に、町おこしの一環として芦屋釜の復活に取り組むことを決めた。7年には、拠点となる町立芦屋釜の里が、遠賀川河口周辺に開館。芦屋釜に関する調査・研究を行うと同時に、鋳物師を養成して芦屋釜の復元を目指すことになった。

 ■成功率30%に挑戦

 鋳物師として独立する樋口さんは福岡教育大大学院で美術教育を専攻。中学・高校の美術教師になる予定だった。ところが、大学に講師として来ていた芦屋釜の里指導員に出会い、その魅力に取りつかれた。「製作そのものが難しく、製作方法についての文献もない。自分の手でよみがえらせてみたい」と思ったという。そして17年、芦屋釜の里の鋳物師養成員に応募、採用された。

 芦屋釜は、外型と中子(なかご)と呼ばれる中型の鋳型の間に、鉄を溶かして流し込んで製作する。芦屋釜と呼ばれる要件は三つ。一つは原料の和銑(かずく)。砂鉄を木炭で精錬し取り出した鉄を使い、さびにくくする。二つ目は薄作(うすさく)。釜の厚さはわずかに2ミリ。さらに釜の内側を滑らかにするため、板をぐるりと回す挽(ひ)き中子という技法を使う。

 芦屋釜は、真(しん)形(なり)と呼ばれる、ふっくらとした形をしており、釜の側面には植物や動物の彫刻が施されているのも特徴。製作工程は、スケッチした絵の図案化から鋳型製作など80にもおよび、それぞれに細心の注意がいる。そのため芦屋釜づくりの成功率は約30%といわれている。

 樋口さんも「最初は失敗の繰り返しで、もどかしい日々が続いた。ようやく自信が持てるようになったのは10年目あたり」という。

 ■修業16年

 樋口さんは3月、鋳物師養成員の修業期間16年を終えて独立する。同施設ではすでに八木孝弘さん(48)が平成25年に独立しており、芦屋釜鋳物師が誕生するのは8年ぶりで、樋口さんで2人目。

 樋口さんは今後も、後輩の堀内快さん(27)の指導を続けながら鋳物師としての技を磨く。「まだ、満足のいくものは数点しかない。今後さらに工夫を重ね、先人が残したアラレ模様に馬の彫刻を配したような作品にも挑戦したい。同時に現代の茶人の注文に応えられるように技術を深化させたい」という。

 樋口さんの夢は、芦屋釜の里を東アジアの鋳物の研究・製作のセンターにすることだ。既に約3千年前の中国・殷(いん)時代に青銅器に鋳込まれた古代文字「金文(きんぶん)」の製作技法が、泥水につけた筆で書いた「筆文字」ということを解明した研究に参加し、成果を上げている。

 樋口さんの16年間の歩みと作品は、3月2日から4月11日まで、芦屋釜の里で開催される企画展「樋口陽介茶の湯展~独立までの軌跡~」で展示される。秋には東京で個展も開く予定。

 芦屋釜の里の新郷英弘学芸員(44)は、今後の課題について「現代の茶の湯愛好家にも使ってもらえる茶釜を製作する一方で、芦屋の鋳物が一般の人たちにも親しんでもらえるような酒器や燭台(しょくだい)なども開発していきたい」と語っている。

     ◇

 【芦屋釜の里】 福岡県芦屋町が平成7年に芦屋釜の復興に取り組む施設として開設した。全国に残る芦屋釜の調査・研究を基に、芦屋釜の復元と鋳物師の養成を行っている。約1万平方メートルの敷地には、芦屋釜復興工房、資料館、いつでも抹茶を楽しむことができる立礼席、大小の茶室などが点在。日本庭園の美しい眺めが広がる。