話の肖像画

歌舞伎俳優・中村鴈治郎(62)(7) 学業優先、ピアノにバイトも

赤ちゃんの頃、両親に抱かれて。父、坂田藤十郎さん(左)と母の扇千景さん(本人提供)
赤ちゃんの頃、両親に抱かれて。父、坂田藤十郎さん(左)と母の扇千景さん(本人提供)

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《昭和34年、上方歌舞伎の名門、成駒家(なりこまや)の御曹司として京都に生まれた。だが、いわゆる梨園(りえん)のイメージとはまったく違う育てられ方をしたという》

初舞台は8歳です。歌舞伎の家の子にしたら遅い方です。親の方針で、幼稚園の間は大人の世界に入れたくないという考え方だったようです。親といっても多分、母親(扇千景さん)の考えだったと思います。しかも、弟(中村扇雀(せんじゃく)さん)が6歳になるのを待ってからで、私が8歳、弟が6歳で、同時に東京の歌舞伎座「紅梅曽我(こうばいそが)」の一萬丸(いちまんまる)で初舞台を踏みました。ちょうど曽祖父、初代鴈治郎の三十三回忌と重なったので、初舞台をそこでしましょう、ということになったのだと思います。

そのとき日本舞踊のお稽古も始めたのですが、歌舞伎の家の子だったらたいてい習っている鳴物(なりもの)や三味線については、何も言われませんでした。母は日本舞踊だけさせておけばいいと思ったんじゃないでしょうか。父は多分、何も言わなかったと思います。三味線の代わりに習わされたのがピアノでしたからね。

学業優先というのも母の考えだったと思います。とにかく大学まで出したいと。父は早くにスターになったので、この業界以外にほとんど友人がいなかったのです。本名の「林くん」とか、「宏太郎くん」とか、呼ぶ友人がいない。母は、私たち兄弟に、一般人としての感覚を身につけさせ、この世界以外の友人をたくさんつくらせようとしたんじゃないでしょうか。

おかげで、いまでも学生時代の友人がいて、つながりがあるのは幸せなことだと思っています。働き盛りの頃はみんな忙しくて、こちらから「(歌舞伎を)見に来てよ」とはなかなか言えなかった。でも最近やっと「見に行こうかな」という年齢になったんじゃないでしょうか。応援もしてくれますし、すごくありがたい存在です。