人生の「けり」つける シンガー・ソングライター、小椋佳が最後のアルバムに込めた思い - 産経ニュース

メインコンテンツ

人生の「けり」つける シンガー・ソングライター、小椋佳が最後のアルバムに込めた思い

最後のアルバム「もういいかい」を出したシンガー・ソングライター、小椋佳(左)と、小椋の書き下ろし曲でアルバム「まあだだよ」を出した歌手の林部智史
最後のアルバム「もういいかい」を出したシンガー・ソングライター、小椋佳(左)と、小椋の書き下ろし曲でアルバム「まあだだよ」を出した歌手の林部智史

 「シクラメンのかほり」「さらば青春」など、みずみずしい歌を多数手がけたシンガーソングライターの小椋佳(77)が、新作アルバム「もういいかい」(ユニバーサルミュージック)を出した。これを人生最後のアルバムにするという。「どこかで音楽活動にけりをつけたかった。喜寿なんでもういいだろうと」。昭和46年にアルバム「青春~砂漠の少年~」で鮮烈なデビューを果たして半世紀。今、人生の「けり」について語る。(聞き手 石井健)

これが最後。つらいし、くたびれちゃった

 「もうね、声も出なくなってきているし、老衰ですよ」

 〈デビューから50年。昭和50年に布施明が「シクラメンのかほり」を歌い、大ヒットしてから、広く知られた。日本勧業銀行(現在のみずほ銀行)に勤めながら歌を作った。お堅い銀行マンがシンガーソングライターと「二足のわらじ」と話題になったものだ〉

 「音楽活動をやめようと思っています。アルバムはこれが最後。コロナでどうなるか分かりませんが、公演も5月から始まる全国公演で最後にします。もう、つらいんですよ。しんどいし、めんどくさい」

 〈「さらば青春」「俺たちの旅」など、青春の光と影をつづった名曲を次々と生み出した。人気俳優の中村雅俊らも歌い、多くの人の心に残っている。最近では、五木ひろしの名曲「山河」の歌詞を手がけた〉

 「喜寿(77歳)なんで、このへんでいいかなって感じ。父が79歳で死んでいるんです。最近、知り合いの訃報もいっぱいくるしね。僕もそろそろ」

 「創作意欲なんて、ないな。もう、ない。歌を作るのも、くたびれた。『こんなの新しくない』などと自分にダメ出しをして、斬新なものを生み出そうとするのですが、最近じゃ何も出てこない」

コンマの歌、ピリオドの歌

 〈最後のアルバムだという「もういいかい」は、「山河」の再録音を含む13曲を収録。同時に若手歌手、林部智史(32)のために8曲を書き下ろした〉

 「去年の春から曲作りに着手しました。これが最後だと考えると、やっぱり身構えちゃいますね。1曲1曲、作るのに時間がかかりました。ちょうどコロナで閉じ籠もるしかなかったから集中はできた」

 「銀行員の頃だと、お正月休みが3日間あるでしょ。そこで大体30曲ぐらい書けましたもんね。50歳ぐらいまでは、歌が湧いてきましたもん、自然に」

 「林部さんには、平成30年に長野県のコンサートホールで出会った。昔だったら、僕もこういうふうに声を出せたな。そういう声を彼は出す。若い頃は、歌っていて自分に酔えましたもんね。若い日ならではの感動ですね」

 〈アルバム「もういいかい」は「開幕の歌」という曲で始まる。後進への助言や人生を振り返る歌が続き、「SO-LONG  GOOD-BYE」という別れの歌で幕を閉じる〉

 「曲順に強い意味はないんですけど、『山河』と『SO-LONG…』と続く最後の流れには、こだわりましたね。『山河』はもともと(演歌歌手の)五木ひろしさんのために作った歌(作曲は堀内孝雄)ですね。作ったときから、これは、きっと何かのエンディングの歌だろうという感じはあったんです。若い頃に歌う歌じゃないよね」

 「若い日は、歌詞が『疑問系』で終わって許された。『だろうか?』とか『じゃないの?』とか。しかし、年をとってくると断定しなきゃいけない。そういう歌を作らなきゃいけないなっていう気がしてきていましたね。コンマで終わっていた歌が、ピリオドになるっていうかな」

 「『もういいかい?』って問いかけているんじゃない。『もう、いいだろう』っていうタイトル」

 〈小椋の「もういいかい」は、20日に発売された。一方、林田は小椋の8曲を1枚のアルバムにまとめた。「まあだだよ」と名づけて「もういいかい」と同日、エイベックスから発売した〉

嘘の歌、自分の歌

 〈東大を出て、日本勧業銀行(当時)に入った。創造的な活動から離れることを恐れ、詩人の寺山修司の劇団「天井桟敷」に電話をかけた。これが縁で、彼らの自主制作アルバム「初恋地獄篇」で3曲歌った。この歌声にレコード会社の制作マンが注目。シンガー・ソングライターとしてデビューすることになった〉

 「僕は高校時代から焦っていたんですね、人生を。どう生きたらいいか分からない。一つだけ引っかかったのは創造。創造しないと生きている意味がない。いろんなことをやりましたが、たまたま、できたのが歌作りでした。幼い頃から、歌ってさえいればよかった。小学6年生の頃は、もっぱら三橋美智也」

 「ところが、高校生になったら既成の歌が気持ち悪くなっちゃった。借り物の歌は空々しい。僕は中学2年生から日記をつけています。そこに自分の文章がある。そこから言葉を摘んで、旋律に乗せて口ずさむようになった。これが、歌作りの始まりです」

 「ラジオが人気の時代。地方のラジオ局のディレクターさんが僕の歌を見つけてくれて、知らない間に全国にバッと広がった」

 〈銀行員を続けながらの音楽活動。メディアには出ず、銀行を辞めるまでコンサートもほとんどやらない。当時は珍しかった〉

 「レコード会社から『人前に出てくれ』と催促され、同じレコード会社の井上陽水(ようすい)くんと一緒に新宿のライブハウスで1公演だけやったこともあった。いい思い出だなあ」

余生のおまけ

 〈支店長、財務サービス部長などをへて、銀行は49歳で辞めた〉

 「歌を作るのは、組織内のアウトサイダーとしての僕でした。『二足のわらじ』などといわれましたが、僕には同心円的なふくらみのような感じで、銀行員は、まっとうするつもりでいたんですよ」

 「でも、40歳を過ぎた頃から、組織の中で評価される人間に成り上がろうと思っちゃった。あ、これは違う。組織内存在としての生き方は、終わりにしようと決めた。平家物語の『見るべきほどのことは見つ』っていう心境です」

 〈退職後は、東大に学士入学。また、打って変わって全国各地で精力的に公演した。平成13年には胃がんで、胃の4分の3を切除。古希の26年には、「生前葬」と銘打ったコンサートを開いた〉

 「音楽活動にけりをつけるつもりで開いた生前葬コンサート。あの後、すぐに死んでいれば、完結だったのに、生き延びてしまった。来年まで全国を回る最後の公演の後も、まだ生きていたら、どうしよう。『余生のおまけ』と名付けた公演でもやろうか」

 「歌を作るのも、もうしんどい。ただ、歌作りに関しては、まだ残っている宿題がある。それと、今、週に一度、ピアノを習っています。米ニューヨークのバーで見たピアノの弾き語りに憧れていまして。どこかのバーで、自分の好きな歌を弾き語りするのもいいかな」

 「最後の仕事は決めています。それは、東京都内に稽古場を作ること。僕はミュージカル作りなんかもしたことがあるのですが、稽古場の利用料が高くて大変だった。稽古場を作り、できれば、リーズナブルな料金でお貸ししたい」

 〈指先には常にたばこ。毎日、セブンスターを2箱。こちらも50年続いている。だが、一番、付き合いが長いのは佳穂里(かほり)夫人(77)だ。小学生のときの初恋の相手。「小椋佳」は大学生の頃、考えた名前だが、「佳」は佳穂里の「佳」。「シクラメンのかほり」の「かほり」も、夫人の名前ではないかと指摘されたこともあったが、「それはない」と否定する〉

 「家内とは、もう70年の付き合い。20歳の僕の日記には『彼女と結婚できたら、他には何もいらない』と書いてある。26歳で米国に留学したとき、僕は家内に90通の手紙を送った。それを今、毎晩5通ずつ読ませているんですよ。いかに僕が君を大事に思っていたかってね」

 〈2人を追い越していく時を呼び戻すことができるなら、惜しむものなどない、と「シクラメンのかほり」は、ままならない時の流れを歌った。今、小椋は夫人と時を呼び戻しながら過ごしている〉

■小椋佳「もういいかい」

1 開幕の歌

2 ラピスラズリの涙

3 生きろ

4 僕の憧れそして人生

5 俺は本当に生きてるだろうか

6 笑ってみよう

7 花、闌(たけなわ)の時

8 朝まだき

9 老いの願い

10 置手紙

11 もういいかい

12 山河

13 SO-LONG GOOD-BYE