【シンガポール=森浩】1日のミャンマー国軍によるクーデターでは、ミン・アウン・フライン総司令官が強硬手段に出た理由として、昨年11月の総選挙の「不正」だけでなく、アウン・サン・スー・チー国家顧問との確執も焦点に上ってきた。ただ、フライン氏は実権を握ったものの、その出口を描き切れているのか、疑問を呈する見方は強い。
「国軍は国政で主導的役割を果たさなくてはならない」。フライン氏は2016年の演説で、国軍の役割についてこう述べた。この年、15年の総選挙を受けてスー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)政権が成立した。発言は民意に関わらず、国政は国軍が推進するという決意を示した。
フライン氏は1956年にミャンマー南部で生まれ、70年代にヤンゴンの大学で法律を学び、国軍に入った。国境地域での少数民族武装勢力の掃討で頭角を現した。眼鏡をかけた風貌は「司令官より事務員のようだ」(ロイター通信)と表現されるが、その実は国軍第一主義といえる。
クーデターの実行は軍の影響力低下に危機感を持ったためとされるが、その不可解さを指摘する声は少なくない。
スー・チー政権は国軍の影響力を支える憲法(2008年制定)の改正を目指したが、実現には上下両院議員の75%の賛成が必要だ。上下両院の25%が「軍人枠」であり、数の上では憲法改正はできない。憲法は内務、国防、国境担当の重要3閣僚の任命権も国軍に与えている。
憲法は国軍の優位な立場を保障しているともいえるが、それでもなおクーデターに踏み切った背景には、フライン氏がスー・チー氏に抱いていた不信感の高まりがありそうだ。
フライン氏はインタビューなどで繰り返し、スー・チー政権誕生後、国軍と政府指導部で構成される「国防安全保障理事会(NDSC)」が開催されなくなったことに苦言を呈していた。スー・チー氏の「軍軽視」への反発だ。
そもそも憲法の規定では外国籍の家族を持つスー・チー氏は大統領になれないが、国家顧問ポストを新設して事実上の国家指導者に就任したことへの不満もあった。
不信感の決定打となったのが、NLDが昨年11月の総選挙で改選議席の8割超を獲得する圧勝を収めたことだ。フライン氏は軍人枠から「民意に後押しされた造反者」(外交筋)が出て改憲につながる可能性を警戒したという。
フライン氏の総司令官としての任期は今年7月に切れる。NLD政権が民意の後押しを盾に、軍の反対を押し切って「改革志向の強い人物を推す可能性を警戒した」(地元ジャーナリスト)との指摘もある。
国軍は1年間の非常事態宣言と国軍管理下での総選挙実施を表明し、NLD幹部らの拘束にも乗り出した。次期総選挙実施までにNLDに壊滅的打撃を与えたい意図が見えるが、国内のスー・チー氏への高い支持がこの間に消え去るとは考えにくい。英BBC放送「その1年間で何をするつもりなのか。長期的計画が見えない」と疑問を示している。