国家を哲学する 施光恒の一筆両断

英語化は本当に経済を活性化させるのか

 新型コロナウイルスの問題に隠れ、あまり大きな話題にならなかったが、昨年4月から小学校で英語が正式教科となった。小学校以外でも英語化の波は強くなっている。有力大学では昨今、日本語よりも英語で講義をするほうが歓迎される。ビジネスの現場でも英語を社内公用語に定めるところが増えた。

 英語化の流れは、経済界が主導している。彼らの主張は次のようなものだ。日本経済の停滞はグローバル化の波に乗り遅れたせいだ。英語が堪能な「グローバル人材」を増やさなくてはならない。英語化が進めば、経済が活性化する。また、国籍にとらわれず英語で多様な人材が交流できれば、日本の企業や社会の創造性も増すはずだ。

 だが冷静に考えれば、英語化が進めば日本経済が復活するという想定は疑わしい。英語ができれば経済が成長するのであれば、フィリピンなどの発展途上国のほうが日本よりも豊かな国になっているはずだ。

 言語と経済成長に関し、最近、興味深い論文が発表された。ドイツの大学のC・ビンツェル教授らの研究グループが書いた「俗語化と言語の民主化」という論文である。(私が拙著『英語化は愚民化』(集英社新書、平成27年)で書いたことを実証的に裏付けるものだといえる)

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