話の肖像画

歌舞伎俳優・中村鴈治郎(61)(1)祖父、二代目鴈治郎への憧れ

NHK連続テレビ小説「おちょやん」でも存在感を発揮 (安元雄太撮影)
NHK連続テレビ小説「おちょやん」でも存在感を発揮 (安元雄太撮影)

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《「がんじろはん」。大阪の人は昔から、代々の中村鴈治郎さんを親しみを込めて、こう呼んできた。上方を象徴する名前でもあるからだ。当代は平成27年に四代目鴈治郎を襲名して今年で7年目。上方歌舞伎の第一人者として活躍するだけでなく、NHK連続テレビ小説「おちょやん」では上方演劇界のドン、大山鶴蔵社長役で風格と存在感を見せている》

私自身、鴈治郎という名前にずっと憧れを抱いていました。絶対に継ぎたい名前でしたね。それは、祖父、二代目鴈治郎(1902~83年)のイメージがあったからです。もちろん、みなさんの中には、曽祖父の初代鴈治郎(1860~1935年)の印象が強いかもしれません。当たり役だった「河庄(かわしょう)」の治兵衛の頬かむりの姿は「頬かむりの中に日本一の顔」と川柳にも詠まれていますしね。父、坂田藤十郎(1931~2020年)でもないんです。父は十数年にわたって三代目鴈治郎を名乗っていましたが、みなさんのなかにある父は「扇雀(せんじゃく)」であり、「藤十郎」なんです。

そんななかで鴈治郎の名跡を四代目として襲名させていただいたということは、自分が祖父と芸風が似ていると思えたこと、祖父のように二枚目から老け役、女形(おんながた)まで、役どころの幅広い役者になりたいと考えたことが大きかった。また、上方歌舞伎を担っていく、という意識をさらに強く持ったということもありますね。

《当代の鴈治郎さんは京都生まれだが、生後8カ月で東京に移り住んだ。慶応大学に進み、言葉も標準語。だが、上方歌舞伎への強い思いから十数年前に大阪にも家を持ち、鴈治郎襲名を機に住民票も大阪に移した》

道頓堀の近くにマンションを買って関西で公演があるときはここから劇場に通っています。松竹座には地下鉄ですぐですし、道頓堀もよく歩きます。ゴミ出しもしますよ。大阪で生活することで、大阪の人のものの考え方が身をもってわかるようになりました。ホテル暮らしではわからなかったことです。

《インタビュー中、大阪弁が普通に出る。「あかんやろ」「ちゃうやん」。まさに大阪の鴈治郎はんである》

上方歌舞伎って人間のいろんな面が描かれていて、深くておもしろいんですよ。それをもっと追求して広めていきたいですね。(聞き手 亀岡典子)

【プロフィル】中村鴈治郎

なかむら・がんじろう 昭和34年2月、人間国宝だった坂田藤十郎さんと元女優で参院議長を務めた扇千景さんの長男として京都に生まれる。42年、東京・歌舞伎座で中村智太郎(ともたろう)を名乗って初舞台。平成7年、大阪・中座で五代目中村翫雀(かんじゃく)を、27年に大阪松竹座で四代目中村鴈治郎を襲名。日本芸術院賞、紫綬褒章など。後継者に長男、中村壱太郎(かずたろう)さん。

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