文芸時評

2月号 ディストピア日記の問い 早稲田大学教授・石原千秋

マスクが買えなかった昨年の春には恐怖心さえあった。学会の事務局を引き受けたストレスから持病の喘息(ぜんそく)などが再発していたからで、いまでも自分に合う安心なマスクを買い続けることがやめられず、ようやく3種類ほどの医療用マスクにたどり着いた。方方(ファンファン)『武漢日記 封鎖下60日の魂の記録』(飯塚容・渡辺新一訳、河出書房新社)の「私たちにはマスクがない」の章で、N95マスクを探し回るところを読んだらあの恐怖が蘇(よみがえ)ってきた。作家としての覚悟も伝わった。

当局によってしばしば削除されるとはいえ、このときの方方の武器はネットだった。「ネット上では、私が毎日こうした細々したことばかりを書いて、解放軍が武漢に入ったこと、全国人民の支持と関心、火神山と霊神山の仮設病院の偉大な成果、恐れることなく支援に向かう人々などをどうして書かないのか、と言う人がいる。だが、私はどう答えればいいのだろう? 記録を残すのには、それぞれ分業があることがわからないのか?(中略)考えてみてほしい。私は小説書きなので、毎日些細(ささい)なことを日記に書くときも、やはり自分の創作方法に沿って、観察し、思考し、理解してから書き始める。これは果たして間違いだろうか?」

最後は聖書の言葉で締めくくられる。「私はうるわしい戦いを終えた。/私は走るべき道を走り終えた。/私は信じる道を守り通した。」。そして、ごく少数の例外を除いて、この「細々したこと」の記述から、この未知のウイルスにはどの国の政府も庶民の感覚からかけ離れた愚策しかなせなかったことが、かえってよくわかる。

「文芸」に桜庭一樹「分断されていく世界で 2020年1月から10月 東東京ディストピア日記」がほぼ60ページ掲載されている。いまでは古くなった情報とゆとりある生活の記述。こんな調子だ。「すっかり明るい気持ちで、集合ポストを開ける。と、なんと…アベノマスクがポツンと届いていた。/例の友達の予言を思いだし、思わず『…えっ、当たった!』とつぶやいた」。友達の予言とは「町で買えるようになってからアベノマスクが届く」というものだ。そして、最後の方はこうなる。「いまのわたしが、社会にどうしても投げたい、根源的なる問いとは、なんだろうか?」

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