ザ・インタビュー

新しい光の地平を求めて 照明デザイナー・石井幹子さんが集大成作品集

【ザ・インタビュー】新しい光の地平を求めて 照明デザイナー・石井幹子さんが集大成作品集
【ザ・インタビュー】新しい光の地平を求めて 照明デザイナー・石井幹子さんが集大成作品集
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 光り輝くレインボーブリッジの向こうに東京タワー。典型的な首都の夜景も、石井幹子という人がいなかったら、大層違ったものになっていただろう。

 欧州で照明器具デザインや建築照明の経験を積み、帰国後の1968(昭和43)年、照明デザイナーとして独り立ちして五十余年。日本でパイオニアとして、道を切り開いてきた。

 「照明デザインという仕事を皆に知ってほしい、光とは限りなく美しいものだと実感してもらいたい。そのために一つ一つの仕事を一生懸命やってきたら、あっという間に半世紀が過ぎていた」と振り返る。

 集大成となる作品集「MOTOKO∞LIGHTOPIA 石井幹子 光の軌跡」では、関わった1600件以上のプロジェクトの中から150件を厳選、美しい写真で紹介している。2000年を境に、それ以前とそれ以後を両開きで見せる構造がユニークだ。

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 「萩市会館」(菊竹清訓設計)や最先端ディスコ「赤坂スペースカプセル」(黒川紀章設計)の照明、さらに大阪万博(70年)で活躍するなどキャリアのスタートは順調だった。ところが石油ショックを機に街の明かりは消え、仕事がパッタリ止まった。沖縄返還記念の沖縄国際海洋博(75~76年)では1キロにわたって海中を光らせる「夜光海」を実現、高評価を得たものの、前途は暗かった。

 前を向くしかない。80年代から、サウジアラビアの迎賓館など国際的な仕事にも活路を見いだす一方、夢の実現へ行動に出た。

 「ヨーロッパの景観照明を日本に根付かせたい」

 ライトアップという言葉も定着していない時代、日本の都市の夜景は暗く、道路照明と商業施設の客寄せの光だけというお粗末な状況だった。行政に計画案を持ち込むも反応はなし。「皆さんに見て納得してもらうしかない」。「ライトアップ・キャラバン」と題し、京都を皮切りに札幌、神戸、熊本など8都市の歴史的建造物を手弁当で照らして歩いた。「『ライトアップ横浜』(86年)で活動が実を結ぶまで8年かかりました」。景観ライトアップの先駆けとなったこのイベントは、10日で80万人を動員。以降、各地で景観照明の仕事が続き、月明かりの幻想風景をつくり出した「白川郷合掌集落」(98年)など、土地の魅力を際立たせる光の効果も認知されていった。

 「世の中に照明の力を証明できた」と確信できたのは、平成に変わった89年、東京タワーのライトアップを手掛けて以降という。また東京レインボーブリッジに横浜ベイブリッジ、明石海峡大橋、そして隅田川に架かる10橋など、橋梁の光の演出でも第一人者として、世界に誇れる都市景観をつくってきた。

 近年は、パリを拠点に母と同じ照明デザイナーの道を選んだ娘、石井リーサ明理さんとともに、海外各地で大掛かりな光のイベントも成功させている。

 「一つ目標を乗り越えると、また違う地平が見えてくる。先に進むと、さらに次の地平が見える。命が尽きるまで、新しい光の地平を追い求めていけたら幸せだなと思います」

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 先の見えないウイルスとの闘いの中で今、改めて明かりについて考えているという。

 「光って、人の心に響く何かがある。灯台の光、お灯明…。それは生きている証しだったり、希望のシンボルだったりする」 今も思い出す明かりがある。灯火管制が敷かれた第二次大戦中、夜間、外に光を漏らさないよう、家の中をわずかに照らしていたのは黒い布で傘を覆った電球だった。明かりの温もり、ありがたさを感じた原体験だ。

 「コロナという見えない敵に対し、気持ちを強く持つには温かい光が必要。夜は照明を少し落とし、キャンドルなどの温かい明かりを囲み、家族やお友達と穏やかに過ごすことをおすすめしたいですね。キャンドルの炎は目にやさしく心にやさしい。心が平和じゃないと乗り切れませんから」

3つのQ

Q好きな本のジャンルは?

歴史小説やドキュメンタリー。司馬遼太郎さん、宮城谷昌光さんの作品はほぼ読んでます

Q家でリラックスしたいときは?

冷えた白ワインを楽しみ、好きな音楽を聴く。プッチーニのオペラなどですね

Q体調維持の秘訣(ひけつ)は? 

バランスの良い食事。チーズやヨーグルトなどの乳製品、フルーツを多くいただきます

(文化部 黒沢綾子)

 いしい・もとこ 昭和13年、東京都生まれ。東京芸大美術学部卒。フィンランドとドイツで照明デザイン会社などに勤務後、43年に石井幹子デザイン事務所を設立。都市照明から光のイベントまで幅広く手掛ける。平成12年、紫綬褒章。令和元年、文化功労者。昨年、東京都から名誉都民顕彰を受けた。

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