100年の森 明治神宮物語

皇后(中)一身に背負った「伝統」と「近代」

【100年の森 明治神宮物語】皇后(中)一身に背負った「伝統」と「近代」
【100年の森 明治神宮物語】皇后(中)一身に背負った「伝統」と「近代」
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 令和2年5月11日、皇后さまは皇居内の紅葉山御養蚕所で、「御養蚕始の儀」に臨まれた。代替わりとともに上皇后さまから養蚕を引き継ぎ、天皇陛下が即位されてから初めて自らの手で蚕に桑の葉を与えられた。作業は2カ月続き、7月10日に「御養蚕納の儀」が行われている。

 歴代皇后に受け継がれてきた皇居での養蚕は、明治4年に美子(はるこ)皇后(昭憲皇太后)が始めたものだ。「昭憲皇太后実録」によると、自ら試みようとした美子皇后は当時大蔵相だった渋沢栄一を呼び、養蚕についてさまざまな質問をした。渋沢はお世話役に岩鼻県島村(現在の群馬県伊勢崎市)の郷長を推薦。養蚕婦4人と監督役が上京し、吹上御苑の御茶屋を蚕室として3月から作業が始められた。

 翌5年にここで働いた23歳の養蚕婦、田島民(たみ)の日記が残っている(「宮中養蚕日記」、ドメス出版)。「桑をかけよ」と蚕室に姿を見せた美子皇后は指示し、その姿は「御下髪にて御衣は緋の総もようの御ふり袖にて誠にお見事なり」。2年目で手慣れたのか、養蚕を指揮するさっそうとした皇后の様子が目に浮かぶ。

 ◆富岡製糸場に残る記念碑

 同じ5年、富岡製糸場が現在の群馬県富岡市に設立された。フランスから技術を導入した官営の器械製糸工場で、国内の養蚕・製糸業を世界一の水準に引き上げ、平成26年には「富岡製糸場と絹産業遺産群」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。その正門を通ってまず目に入るのは、東置繭所の前にそびえる記念碑だ。

 いと車とくもめくりて大御代の

 富をたすくる道ひらけつつ

 記念碑には明治6年6月に美子皇后と英照(えいしょう)皇太后が視察に訪れたことが徳富蘇峰(そほう)の文で刻まれ、美子皇后が贈った御歌(みうた)も記されている。この御歌は曲が付けられ、製糸場が民営化された後も従業員によって歌われたという。糸車が速く回るほどに多くの生糸ができあがり、明治の御世の富を増やせるのです-。

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