一聞百見

伝説のパティシエ、西原金蔵さん 京で再起動

そんな日々が約7年間続いたが「これまで自由にやらせてもらったので、そろそろ故郷の岡山に戻ってお店を開こう」と退職。しかし岡山では計画が進まず、ホテルマンとして第一歩を踏み出した京都でお店を開くことに。

平成13年6月、フランス語で自身の名前でもある「金の蔵」を意味する洋菓子店「オ・グルニエ・ドール」を錦市場のすぐ北で開業した。「隣近所で評判の、私ひとりで作って妻が売る、こぢんまりしたお店をめざしました」

ところがこの店、隣近所どころか、全国から常連が通う超人気店になるのだった。

スイーツで心豊かに

平成13年6月、京都で洋菓子店「オ・グルニエ・ドール」を開業した西原さんだが、当初は「絶対失敗する」「京都で目新しい商売は成功しない」などとささやかれた。「間口が約1・5メートルしかないうえ、表からケーキ類が入ったショーケースが見えるのが普通なのにうちは奥にありましたからね…」

しかし「料理界のダビンチ」との異名を持つ仏人シェフ、アラン・シャペルさん直伝のスイーツの数々は、たちまち評判に。マカロンやロールケーキといったはやりものは扱わず、季節の果物にこだわり「最良の状態で適切な素材を適切に調理する」をモットーに、使う果物は甘さより自然の酸味を重視した。

看板商品のひとつ「リンゴのタルト」は、時期によって最もおいしいリンゴを使う。9月からは青森の「津軽」、10月初めからは「紅玉」、寒さが厳しくなると「サンふじ」、春が終わるころに生産終了。このこだわりでリピーターが激増。資生堂パーラー時代に考案したチョコレートケーキ「ピラミッド」なども人気を博した。結局、周囲の予想とは裏腹に、海外で活躍したパティシェが腕を振るう本格的な洋菓子店のはしりとして全国から常連客が足しげく通う超人気店に。スタッフも20人以上を抱え、NHKの「きょうの料理」にも不定期で約10年間出演。菓子教室も大盛況…。

しかし西原さんは、開業時から「サラリーマンが定年退職を迎える65歳になったら、ここを閉店する」と決めていた。ほとんどの人が信じていなかったが有言実行。65歳を迎える平成30年5月31日に閉店となる話が広まると、開店前から大行列が。惜しまれながら閉店を迎えた。

とはいえ、隠居する気にはなれなかった。「65歳で全てをリセットしてから、自分が社会に果たすべき責任とは何かを熟考するようになった」からだ。「体調が悪いとき、ここのケーキで元気になれた」「入院していた親戚は、ここのプリンしか食べなかった」といった感謝の手紙を顧客からたくさんもらったことを思い出した。顧客に恩返しし、スイーツで人々の心を豊かにしたいと原点回帰。妻、純子さんと2人だけで切り盛りする店の出店を決めた。

約30年前。仏リヨンのシャペルさんの店で働いていた頃の記憶がよみがえった。「キンゾー、触ると表面がパリッと割れる感じで、中が柔らかい『パート・ド・フリュイ(フルーツをペクチンで固めた砂糖菓子)』を作れないか?」。それを実現すべく、和菓子の琥珀羹から着想を得て看板商品の「パート・ド・クルスティヤン」が生まれた。店は口コミで大人気に。「リンゴのタルト」といったかつての定番商品は30年10月、同店の跡地で長男の裕勝(ひろかつ)さん(35)が開業した洋菓子店「ナンポルトクワ」が引き継ぐ。

「人生とは他人から与えられるものではなく、自身で行動し、挑戦せねば実りあるものにはならない」と話す西原さん。「おもてなしの原点をお客さまから教わり、感謝の日々です。お金やモノではなく、心の豊かさを大切にしたいですね」

にしはら・きんぞう 昭和28年2月、岡山県吉井町(現・赤磐市)生まれ。62年、仏の三つ星レストラン「アラン・シャペル」で日本人初のシェフパティシエ(製菓長)に就任。ミシュラン三つ星の名フランス料理店「ロオジエ」(東京・銀座)の総製菓長(平成元年)などを経て13年、京都市で「オ・グルニエ・ドール」を開店。30年5月に閉店し、令和元年6月、土日限定営業の洋菓子店「コンフィズリー エスパス・キンゾー」を開店した。