戦艦「大和」に搭載された46センチ砲の砲弾発射試験が行われていた「亀ヶ首発射場」は、瀬戸内海の倉橋島(広島県呉市倉橋町)に旧日本海軍が設置した重要施設。同跡地が日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成文化財として追加認定されたことを受け、跡地に近い桂浜温泉館(同町)で、1月23日に記念シンポジウムが開催された。
「亀ヶ首発射場」は倉橋島の東端にあり、「大和」が建造された呉海軍工廠の南方14kmに位置する。明治33(1900)年に整備され、大口径砲などの兵器を国内で製造する上で重要な役割を果たしたが、終戦後に進駐軍により破壊された。現在では、検所、突堤などの遺構が残る。
また日本遺産とは、「地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを『日本遺産(Japan Heritage)』として文化庁が認定するもの」(文化庁HPより)。 旧日本海軍の主要な軍港があった横須賀市、呉市、佐世保市、舞鶴市が共同申請し、平成28年に認定された。
シンポジウムは「発射場」と倉橋島の歴史を振り返るもので、広島大学の下向井龍彦名誉教授が古代と中世の歴史を概説し、広島会計学院専門学校の菅信博校長が地元倉橋の視点で「発射場」を語った。また、広島国際大学の千田武志客員教授は、亀ヶ首発射場の果たした役割や、同所で行われた工員の講習会について報告した。
さらに、試射中の事故で亡くなった工員たち犠牲者の慰霊祭を主催するなど、遺構の整備に尽力してきた「くらはし観光ボランティアガイドの会」の柳井敏弘会長らが、今後の活用などをテーマにパネルディスカッションを行った。
呉市役所で同シンポジウムを担当する、文化スポーツ部文化振興課の市川裕士さんは、「亀ヶ首発射場の実態や海軍と地域社会の関係、さらには倉橋島の多様な歴史について理解を深める場になった」と意義を強調する。呉市では、日本遺産の構成文化財を活用した取り組みに、今後も力を入れていく予定だ。