直球&曲球

今、必要なのは客観的な分析能力 野口健

五輪マークのモニュメントと国立競技場(奥)=東京都新宿区
五輪マークのモニュメントと国立競技場(奥)=東京都新宿区

菅義偉(すが・よしひで)首相は、東京五輪開催について「人類がコロナに打ち勝った証(あかし)として開催する」と繰り返し発言している。この「打ち勝った証」という表現に違和感を覚えてきた。これからわずか半年で、人類が新型コロナウイルスに打ち勝つことができるのだろうか、と思うからだ。例えば、インフルエンザの歴史をたどれば約100年前のスペイン風邪にたどりつく。そこから約100年たってもなお、インフルエンザは毎年多くの犠牲者を出し続けている。

「勝負の3週間」「勝った証」などと「勝ち」にこだわるならば何をもって「勝つ」ことになるのか。根拠を語らないまま同じキーワードを繰り返されても、心に届かないどころか、空虚に響くばかりだ。

そんな中、海外メディアが日本政府の内部情報として五輪中止の動きがあると報じた。政府はこれを即座に否定したが、僕はハッとさせられた。「コロナに打ち勝った証」と繰り返し発言してきた菅首相の本音を垣間見たような気がしたからだ。「勝てばやるよ」ということは裏を返せば「勝てなければやらない」とも受け取れる。意地の悪い見方をすれば「勝った証」にこだわるのは撤退の道筋を暗に示しているのかもしれない。

ある代表選手は「オリンピックが中止になれば大げさに言えば死ぬかもしれない」と話した。人生をかけ、準備をしてきた選手の率直な気持ちだ。しかし、同時に考えなければならないのは、五輪を開催することにより、「死ぬ命」が出てしまうリスクだ。どれほどまでのリスクを許容できるのか、国民的議論が必要だろう。

「勇気ある撤退」とは冒険界においてもよく耳にする言葉だが、「勇気」などといった精神論ではなく、「死のリスク」が背負える分量を超えたときには、その荷を下ろすだけのことである。必要なのは精神論ではなく客観的に分析する能力だ。

「必ずやる」は、「いかなる条件下においても決行せよ」となりかねない。その発想が時に大量遭難を招いてきた。われわれ日本人はそのことを、明治35年に起きた八甲田山の悲劇から学んだはずである。

【プロフィル】野口健

のぐち・けん アルピニスト。1973年、米ボストン生まれ。亜細亜大卒。25歳で7大陸最高峰最年少登頂の世界記録を達成(当時)。エベレスト・富士山の清掃登山、地球温暖化問題、戦没者遺骨収集など、幅広いジャンルで活躍。著書に『震災が起きた後で死なないために』(PHP新書)。