朝晴れエッセー

「アー・アー」・1月28日

6年前、72歳の母がくも膜下出血で倒れ、寝たきりになりました。

食べることも話すことも、自力で動くこともできない母には人の手が必要と思い、可能な限り会いにいき、リハビリを少しでも続けてあげたくて転院を繰り返しました。

コロナが拡大する前にたどり着いたのは、私たちが育った町の駅のすぐ近くの病院。転院して間もなく面会禁止となり、何もできない母が病院で嫌われていないか不安になり、私は週3回その病院の清掃の仕事に就くことにしました。

今まで知らなかった朝の病院、働く皆さんは人の嫌がる仕事も明るくテキパキとこなし、母にも声を掛け、優しく接してくださっていたこと、湯船に浸からせてもらっていたことを知り、感謝でいっぱいになりました。

昨年10月、母はこの世を去りました。死の間際に絞り出すように「アー・アー」と訴えていたのは「ありがとう」と心の底から伝えたかったのだと確信しています。

それからも、清掃の仕事を続けています。山登りのような達成感が得られ、階段を登る足も軽くなりました。

ある日、母がいた病室の窓から電車が見えることに気が付きました。母は懐かしい電車の音、踏切の音をここで聞いていたのかもしれません。

朝日が部屋いっぱいに差し込み、また病院の慌ただしい1日が始まっていきました。

上田操 55 大阪市中央区