つなぐ~新大久保駅事故から20年

(上)人間愛満ちた行動、風化させない

 日本学生支援機構によると、新井さんが日本語学校を開校した昭和60年、国内の留学生は約1万5千人だったが、令和元年には30万人を突破。当初7人だった赤門会の留学生も現在は約1200人に上る。

 奨学会の鹿取克章会長(70)は「多くの方の純真な気持ちがアジアの学生たちを支えている」と話す。

 ■「残したもの大きい」

 20年の節目となった今月26日。辛さんは新型コロナウイルスのために来日を断念し、毎年命日にともに訪日していた盛大さんも2年前、79歳で亡くなった。

 「息子の命日に新大久保駅のホームで献花できることが生前の息子に会えそうな気がして、ささやかな喜びであり待ち遠しく思っていました」。辛さんは同日寄せた手記で、無念さをこう吐露した。

 新井さんは両親に代わって新大久保駅で花をささげた。

 「20年間、風化しなかったのは李秀賢君の人間愛に満ちた行動の素晴らしさと、意思を引き継いだご両親の努力。李さんが残したものは非常に大きい」。19年間、ともに献花をしてきた両親の不在にさみしさを感じながら、李さんをしのんだ。

 新大久保駅事故から20年。その記憶を今につなげてきた人々の思いを追う。(大渡美咲)

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