勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(154)

王の決意 悩んだ末、やっぱり一本足打法

吊られた紙を日本刀で切る王。畳の上は紙の山(右は荒川コーチ)
吊られた紙を日本刀で切る王。畳の上は紙の山(右は荒川コーチ)

■勇者の物語(153)

昭和37年、38ホーマーを放ち、初めてのタイトルを獲得した王貞治は、翌38年も40ホーマーをかっ飛ばして2年連続の「本塁打王」に輝いた。

新聞紙上で「ONコンビ」の呼称が使われるようになったのも、荒川博コーチとの伝説の練習〝真剣斬り〟が行われたのもこの年である。

蛍光灯の端に細長く切った新聞紙がぶら下がりヒラヒラと揺れている。部屋の隅には腕を組んだ荒川コーチ。日本刀を構えた王の右足がスーッと上がる。1秒、2秒…。「ハーッ」と吐かれた王の気合とともに真剣が振り下ろされる。紙がヒラヒラと畳の上に舞い落ちる。

誰がやっても紙は切れる。だが、たいていの場合が腕の力で〝ちぎる〟ようになる。王はこれを剃刀の刃で切ったかのようにスパッと切る。『グリップの至芸』といわれた。

王は悩んでいた。一本足を続けるべきか二本足に戻すべきか-と。39年のキャンプでは何度も首脳陣との話し合いが行われ、川上哲治監督は二本足で打て-と指示した。

「一本足はタイミングを外されると打てない-という欠点がある。二本足で打てばもっと打率も上がる」

納得する部分はあった。37年オフに行われた日米野球では、メジャー投手の投げるチェンジアップに苦しめられ、38年、西鉄との日本シリーズでも王は4本のホームランを放ったが、いずれも二本足で打ったもの。

王も荒川コーチも監督の指摘を受け入れ練習に取り組んだ。だが、オープン戦で結果が出ない。23打席ノーヒット。打球の速さも二本足と一本足とでは明らかに違った。3月2日夜、王は宿舎の荒川コーチの部屋を訪ねた。

「いろいろ悩みましたが、やはり一本足で打ちます」

3月8日の西鉄とのダブルヘッダー(後楽園)で〝一本足打法〟は爆発した。第1試合、三回に右翼へ先制2ランを放ち、九回には1死から中堅右へサヨナラ本塁打。第2試合にも一回と六回にホームランを放ち1日4発。

「このフォームが一番ボクに適していると思う。これからも一本足でいきます」。入団6年目の23歳、王の決意だった。(敬称略)

■勇者の物語(155)