勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(153)

かかし打法 その後の歴史変える一本

キャンプで荒川コーチ(左)から一本足打法を指導される王=昭和37年
キャンプで荒川コーチ(左)から一本足打法を指導される王=昭和37年

■勇者の物語(152)

昭和34年にプロ1号を放った巨人・王貞治だが、この時のホームランはまだ二本足で打ったもの。〝一本足打法〟での第1号は、36年オフに荒川博が打撃コーチとして巨人に入団し、翌37年の7月まで待たねばならない。

◇7月1日 川崎球場

巨人 001 113 031=10

大洋 000 000 000=0

【勝】中村6勝8敗

【敗】稲川3勝3敗

【本】王⑩(稲川)森③(稲川)塩原①(グレン)藤本伸②(篠田)

三回無死走者なし。打席に向かう王に荒川コーチが声をかけた。

「キャンプで練習していた、あの打ち方でやってみろ」

その初球、稲川のストレートをとらえると打球はライナーで右翼席へ。六回にも2死満塁で右中間へ走者一掃のタイムリーを放ち5打数3安打4打点。

「ちょっと右足を上げるやつ。これだと鋭く振れるし、タイミングさえ狂わされなければ、この打ち方がいいです」

この時点ではまだ「一本足打法」の呼び名はついていない。この年、38ホーマーで初の本塁打王(85打点で2冠)に輝いてもなお「かかし打法」とか「足上げ打法」と呼ばれていた。

ところで、なぜ、きっかけが7月1日なのだろう。

37年シーズン、川上哲治監督は王を開幕から「4番・一塁」で起用した。だが、振るわない。本塁打も6月30日時点でわずか9本。チームも首位・大洋に4・5ゲーム差の3位(2位は阪神)と低迷。そして7月1日、大洋戦の試合前のコーチ会議で〝事件〟が起こった。

「王が打てないから勝てないんだ!」

イライラがつのっていたのだろう、別所毅彦ヘッドコーチが荒川コーチをなじった。荒川も反論した。

「わたしは王に三冠王を取らせようと思って指導している。ホームランだけなら、いつでも打てる!」

「なら、すぐ打たせろ!」

売り言葉に買い言葉-それが三回の指示につながったのである。荒川は後年、こう振り返っている。

「もし、あの試合で打たなかったら、一本足打法はやめさせていたと思う」

まさに、その後の歴史を変える一本となったのである。(敬称略)

■勇者の物語(154)