児童虐待~連鎖の軛

苦しまないため 理解と共感広がるか

孤立や貧困、子育てのストレス、親自身の過去などが複雑に絡み合って起きる児童虐待。新型コロナウイルス禍はそんな家庭の状況をさらに悪化させた。その半面、新型コロナがもたらした「副産物」もある。医療体制をめぐる議論を虐待に置き換えてみると、虐待対応のどこに課題があるのかが明確に浮かび上がってくるのだ。

新型コロナ対応で最も重要なのは、重症病床を守り、医療体制を維持することだ。そのために各自治体は、中等・軽症者に向けた医療を拡充。もし重症病床が足りず、入院できなかった患者が死亡したとしても、問題視されるのは医療体制全体であって、個別の病院ではないだろう。

翻って虐待では、重症病床にあたるはずの児童相談所(児相)が、あらゆるレベルの「患者」に対応しようとしている状況にある。優先順位をつけた対応を強いられるなか、子供が虐待死すれば、児相現場が猛烈な非難にさらされる。それでいて、医療従事者のように、職員が世間から拍手で応援される機会はない。

児相がミスをすることはある。人材育成も課題だ。ただ、根本的な問題は現場ではなく、医療と同様、児相に過度の負担がかかる体制そのものにある。「児相中心主義」といえる状況は変えなければならない。

そこで鍵を握るのは、市区町村や地域社会の機能だ。多様な支援サービスを持つ市区町村は、家庭が追いつめられる前に手を差し伸べることができる。市民がちょっとした支援の輪を作れば、子育ての負担は減る。深刻な虐待につながる芽が膨らまないようにすれば、児相は緊急時の強制的な介入に集中できるのだ。

日本より早く虐待問題に取り組んできた欧米はすでに、家庭支援を重視した体制づくりへとかじを切っている。その根底にあるのは「虐待は特殊な『鬼親』だけが行うものではない」という認識ではないか。

多くの国民が虐待を身近な問題と受け止めれば、未然防止の取り組みは必要な施策だと理解されるだろう。一定の予算は必要だが、軽視すべきものではない。

平成12年の児童虐待防止法制定から20年が過ぎ、日本でも虐待問題への理解や共感は少しずつ広がってきた。どんな社会にしていきたいか。今後も考えたい。

(児童虐待取材班)