《昭和40年代後半から、西城秀樹さん(平成30年5月16日死去、享年63)、野口五郎さん(64)とともに新御三家と呼ばれた。ライバル心は》
人それぞれの考え方にもよりますが、僕自身は人に対して敵対心を持つとか、ライバル意識を持つということはなかったような気がします。(人気絶頂期に活動を停止して)アメリカに音楽留学に行った話をしましたが、「行った自分」と「行かなかった自分」はどんなふうに違いが出るんだろうかという考え方です。「やった自分」と「やらなかった自分」はどうなるか。だからライバルは自分自身なんです。
世間で言われているライバルという気持ちは、すごく無駄だなと思うんですよ。つまり自分が優位に立てば、つまらない優越感しか生まれてこない。逆に劣っていたとしたら、憎むというか、醜い劣等感しかないんですよ。そういう気持ち、マイナスなものを持つということは、僕はあまり好きじゃない。できるだけマイナスは入れたくない。マイナスイオンは別ですが…(笑)。
《一般的な話、人は他人と比較して優越感に浸りがちだが…》
優越感に浸るということは、現状に甘んじることだと僕は思う。だから優越感に浸ることはない。子供の頃、すごく運動神経のいい子がいたり、勉強ができる子もいる。でも明らかに晩年になって、すばらしい成果を上げてきている人もいるわけです。人の成長のスピードというのはそれぞれが違いますから、その人の成長のスピードを見てあげた方がいい。人は大人になっても成長し続けるんです、ゆっくりであっても。モチベーションを上げるために、他人と比較した方が次に進めるという人もいると思う。それはその人の考えだから、僕がとやかく言うことじゃないと思う。
《西城さんの告別式での弔辞で、「あるとき、秀樹は40度近い高熱が出たのにもかかわらず、ステージを務め、最後は倒れるように歌い上げた。ファンのことを考え、自分の人生をダイナミックに生きる人」と涙ながらに見送った…》
歌番組全盛だったので、(西城さんとは)しょっちゅう会っていました。最初にデビューしたのが五郎で長男、秀樹が次男で僕が三男という序列ですね。2人を兄貴のように思っていました。三者三様で、それぞれ独自のオリジナリティーを持っていた。秀樹は全力投球じゃないですか、情熱的で…。でも実はすごく優しいんですよ。いつも声をかけてくれ、リラックスさせてくれた。テレビを見ている人に、それはわからない。情熱的な部分だけなんです。その優しさは、情熱的なもの以上に僕の中で足りなかったと感じてましたね。そこは常にマネしなければ、と思っていた。でも若くして先に逝ってしまった。そりゃ無念です。あの情熱と優しさは秀樹の世界なんですから…。
五郎は歌がうまいというのもあったけど、とにかく繊細だった。そこは僕に欠けるところなんですよ。当時はいつも彼らの側にいたから、お互いに刺激しあって、お互いにたくさんのことを学んだ気がします。だから今の僕があるんだと思いますね。
《平成28年、ある雑誌の対談で新御三家がそろい踏みした。西城さんとはそれが最後となった…》(聞き手 清水満)