勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(152)

偉業達成 長嶋が支えた「世界の王」への第一歩

昭和34年4月26日、国鉄戦でプロ1号本塁打を放ってホームインする王=後楽園球場
昭和34年4月26日、国鉄戦でプロ1号本塁打を放ってホームインする王=後楽園球場

■勇者の物語(151)

昭和52年シーズン、9月3日のヤクルト23回戦(後楽園)で巨人・王貞治がプロ通算756号ホームランを放ち、米大リーグのハンク・アーロン(元ブルワーズ)を抜いて本塁打の〝世界新記録〟を達成した。

三回1死走者なし。投手は鈴木康二朗。ボールカウント2-3後のストレート。一本足打法から放たれた打球が右翼へ舞い上がった。打球の行方を見ながら1歩、2歩と踏み出した王がホームランを確認するや両手を広げゆっくりと走り出した。

プロ第1号も後楽園球場だった。入団1年目の34年4月26日、対国鉄6回戦。七回2死一塁で打席に入った王は苦悩のどん底で喘いでいた。

契約金1800万円、年俸144万円(推定)。高卒ルーキーとしては破格の条件で入団し、開幕戦の国鉄戦で「7番・一塁」で先発出場した。だが、いきなり金田正一にプロの洗礼を浴び2打数2三振1四球。以来、10試合26打席ノーヒットが続いていた。それでも水原茂監督は王を使い続けた。

「若いうちは悩むことも薬になる。去年の長嶋と違って精神面でも助言してやる必要があるが大丈夫、王は必ず巨人を背負う打者になる。まぁ、ワイワイ騒がず、見守ってやってくれ」

◇昭和34年4月26日 後楽園球場

巨人 000 000 200=2

国鉄 000 000 000=0

【勝】伊藤2勝 【敗】村田1勝2敗

【本】王①(村田)

27打席目、村田元一に2-1と追い込まれた4球目、やや内角寄りの低めのカーブ。快音を発した打球は右翼席へ飛び込んだ。プロ初安打が初ホームラン。三塁コーチスボックスで水原監督が帽子を脱ぎ、グルグルまわして大喜びだ。

「高く上がったので取られると思っていました。まさか入るとは…」

18歳の悩める王を支え続けたのが4歳年上の長嶋だった。

「決して焦ってはダメ。焦れば焦るほど考え込んで、最後に自分を見失ってしまう。1本ヒットが出れば心が落ち着き、あとは笑いが止まらないぐらい打てるようになるから」

〝世界の王〟への第一歩はこうして踏み出されたのである。(敬称略)

■勇者の物語(153)