産めなくても幸せに…特別養子縁組家族の知られざる事情

産めなくても幸せに…特別養子縁組家族の知られざる事情
産めなくても幸せに…特別養子縁組家族の知られざる事情
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 不妊治療の末、平成31年に特別養子縁組で赤ちゃんを迎えた池田麻里奈さん(46)。昨秋、夫の紀行さん(48)との共著で、養子を迎えるまでの葛藤や新しい家族との生活をつづった「産めないけれど育てたい。」(KADOKAWA)を出版した。治療の辛さや夫婦関係、育児の不安と楽しさが率直につづられた内容からは、日本であまり語られてこなかった特別養子縁組家族のありのままの姿が浮かび上がる。

子宮摘出しても「育てたい」

 寝相の悪い息子に、そっと毛布を掛ける。転んで泣いていれば、「大丈夫?」と抱きしめる。子供のいる家庭ではごく当たり前の風景。麻里奈さんは、そのひとつひとつに幸せを感じている。「息子を迎えてから日常生活が24時間変わりました。ささいなことがすごく幸せ」と笑顔を見せる。

 特別養子縁組は、事情があって生みの親と暮らせない子供たちが、養親と法的な親子関係を結ぶ制度だ。

 31年1月、民間あっせん団体を通じ、池田夫妻は生後5日の男の子を迎えた。大人2人の生活は一変し、忙しくも幸せな日々。9カ月後、特別養子縁組が成立し、赤ちゃんは法律上の子供となった。

 麻里奈さんは28歳のときに紀行さんと結婚。30歳で不妊治療をスタートしたが、2度の流産を経験。なかなか子供に恵まれず、30代半ばごろから特別養子縁組や施設で育った子供の本を読むようになった。とはいえ、「また妊娠するかもしれないという期待と希望があって、養子のことは頭の片隅に追いやっていました」と振り返る。

 36歳で3度目の妊娠をしたが、7カ月で死産。不妊治療のピアカウンセラーとして活動を始めたり、「子供ができてから」と先送りにしていた趣味に挑戦したりと、人生を充実させようと模索した。ただ、乳児院のボランティアなどで子供と関わるたび、「親として永続的に子供の人生を支えたい」という思いが募り、特別養子縁組を意識するようになった。

 「自分の子供すら育てていないのに、血のつながらない子供を育てられるのか、という不安はありました。でも、シンポジウムなどで体験者の話を聞き、努力をすれば家族になれるんじゃないかと思えた」

 紀行さんに、特別養子縁組を考えてくれるように話をしたが、「今は不妊治療を続けよう」という返答。進展のないまま、麻里奈さんが42歳のとき持病が悪化し、子宮全摘手術を受けることになった。

 長い治療を通じて、麻里奈さんは、ひとつの結論にたどり着いていた。

 《2人の人生であるという以前に、私自身の人生も重要です。玉ねぎの皮をむくように、自分の人生で一番したいことを突き詰めていったら、それは『お母さん』でした》

 本書でこう明かしたように、自分の気持ちを素直に見つめた末、「育てたい」という思いが残ったのだ。

 手術が終わると夫に手紙を渡した。前夜、病室で書いたものだ。「いつか親になったら、という思いは子宮がなくなっても抱き続けるだろうということ」「養子を考えてほしい」ということが記されていた。 

 「麻里奈さんに、付き合うよ」。妻の思いを受け止め、夫婦は特別養子縁組に動き出した。

妻の希望をかなえたい

 「なぜ子供が欲しいのか」「治療を続けるのか」といった問いは、夫婦で温度差があることが多い。不妊治療も特別養子縁組も、2人で向き合うからこその難しさがある。本書は、紀行さんの視点からも語られる。

 都内でIT企業を経営する紀行さん。麻里奈さんと同じように早くから子供を望んでいた。「遊んでいたメンバーに子供が生まれていくのに、われわれはいつまでたっても夫婦で参加していた。子供がいる会での心の底からの楽しみ方が分からなかった」

 ただ、特別養子縁組までは考えられなかった。「どう思うか聞かれても、自分のこととして受け止められずはぐらかしていました。血のつながらない子供を育てる怖さがありました」

 だが、麻里奈さんからの手紙で、その思いの強さを知った。「彼女は仕事をあきらめてまで治療に専念してきました。その間に、ぼくは起業して会社の成長やスタッフの育成、趣味に取り組んで自己実現してきた。でも彼女はその10年の間、空白だった。結婚したときに28歳だった彼女も40代。手紙を読んだとき率直に、彼女が望むことを実現させてあげようという気持ちになったんです」

 紀行さんが「父親になる」と実感できたのが民間あっせん団体の研修だ。「沐浴(もくよく)の練習で人形を抱っこしたとき、赤ちゃんを育てるということを強烈に感じました」。

 研修を経て待機家族となった。手術からおよそ1年後、赤ちゃんを迎えた。「今は夫婦2人の暮らしが思い出せないくらい。子供は1日1日できることが増えていく。愛情を注いだ対象が成長していく喜びは格別。個人や夫婦の幸せとは違った質の、楽しみや幸せを感じています」と話す。

見えない家族像

 国は、事情があって実の親と暮らせない子供について家庭養育を進める方針を打ち出しているが、令和元年度の特別養子縁組成立件数は711件に過ぎない。

 本書には、結婚から養子縁組を迎えて1年たつまでの池田家の歴史が収められているが、親や親戚に伝えたときの反応、養子と伝えておく範囲など、デリケートな話題も記されている。

 麻里奈さんは出版理由をこう明かす。

 「自分たちが特別養子縁組を考えた時に情報がなかった。迎えるまでの夫婦での会話や葛藤、親や親戚にどう話したのか。一家族の例でいいから知りたかった。不妊治療の取材を受けたこともあり、当事者発信の重要性も感じていました。特別養子縁組を多くの人に知ってもらい、選択肢の一つと理解してもらえたら、将来息子も生きやすくなるはず」

 本書で紀行さんは、特別養子縁組への不安も赤裸々につづった。「自分は小心者。養子として迎えた子供が大人になって悪いことをしたら、『血がつながってないからだ』と考えてしまうような人間です。でも、本などで触れる養親からは、聖人君子の素晴らしい人たちだという印象しか得られない。だからこそ、僕のように葛藤を抱えながら踏み出した等身大の情報が欲しかった」

 不安を残したまま赤ちゃんを迎えた紀行さんだが、今の気持ちについて、「そこに息子がいるからお世話をするし、愛している。血のつながりがないことは不思議なことに一切感じない。一緒に過ごして自分の中で愛情ホルモンが出たのでしょうか」と語る。

 不妊治療の保険適用拡大が決まり、子供を望む夫婦への支援は広まっている。ただ、誰もが授かることができるわけではない。「里親や特別養子縁組という選択肢も知っていたら、納得感をもって治療に臨めるのではないでしょうか」と麻里奈さんは言う。

 「子供が欲しい」という問いに長い時間をかけて答えを出した池田夫妻。赤ちゃんのお世話をしたり、育児や家事をめぐって夫婦でけんかしたり、感謝したり。本書で描かれているのはごく普通の、子育てに奮闘する家族の姿だ。

(文化部 油原聡子)