その年の瀬。京都・清水寺の貫主が振るった力強い揮毫(きごう)は、多くの日本人の心理を体現したものだった。
「絆」
揮毫の約9カ月前、平成23年3月11日に起きた東日本大震災。そして、東京電力福島第1原発事故。かつてない国難の中で、その言葉に触れない日はなかったほどだ。口にすることで互いに連帯の意志を確かめるかのようだった。
事実、「絆」をはじめとしたスローガンの下、官民問わず、復興に力が尽くされた。自衛隊、医療関係者、自治体職員、ボランティア…。支援の輪は国外にも広がった。
例えば、「オペレーション・トモダチ(トモダチ作戦)」と呼ばれた米軍による支援。2万人を超える人員が投入され、被災地の救援に当たった。そうした海外からの支援に対し、政府が震災1カ月後に各国の主要紙に掲載した感謝のメッセージにも「絆」の文字があった。
震災をきっかけにした結婚を「絆婚」と呼ぶ現象も起きるなど、人と人の関係性は大きく変容した。だが、別の現実もあった。
◆一体感の裏側で
「僕は、『絆』という言葉を、前向きなものとして受け止められないんです」
原発事故により家族で福島県いわき市から東京に自主避難している高校3年の鴨下全生(まつき)さん(18)はこう語る。避難先の学校で待ち受けていたのは陰惨ないじめだった。「菌」と呼ばれ、触れると罵倒された。鉛筆で足を刺されもした。
「死んでしまいたい」
震災の翌年、そう思った。まだ9歳だった。支援者の教会関係者に勧められ、ローマ教皇フランシスコに手紙を書くと、31年にバチカンで対面がかなった。原発事故で起きた分断やいじめの苦しみを伝えると、教皇はうなずきながら耳を傾けた。鴨下さんは話す。「絆があるから大丈夫だなんて思えない」
29年には当時の復興相が、「(被災地が)東北でよかった」と口にした。「絆」という言葉が生む一体感には時折、隠しようのない綻(ほころ)びが生じる。
「絆」という言葉は現実にある「分断」を隠す作用がある。「絆」や「がんばろう」という言葉を発するときに得られる充実感は、確かにある。
福岡教育大の吉武正樹教授(コミュニケーション学)は「『絆』の実体は、よくも悪くも想像上のものだ。支援には『まだまだ支援しきれていない』という欠如の感覚が不可欠で情緒的な言葉は支援の持続を妨げてしまいかねない」と語る。そして、こう続ける。
「今、必要とされるのは、情緒ではなく、断絶した地域や人々を機能的につなげられる制度などの現実的な仕組みの構築だ」