話の肖像画

歌手・郷ひろみ(65)(16)気が付いた京平先生のすごさ

昭和49年、筒美京平さん作曲の『よろしく哀愁』などをリリースした
昭和49年、筒美京平さん作曲の『よろしく哀愁』などをリリースした

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《昨年10月、作曲家の筒美京平さんが他界した。年末のNHK紅白歌合戦ではデビュー曲『男の子女の子』(昭和47年)に『よろしく哀愁』(49年)と、自身の筒美作品のトリビュートメドレーを歌った。筒美さんから提供を受けた楽曲は100曲以上にもなる》

京平先生は歌手「郷ひろみ」を創ってくれた人です。第一印象は「ものすごくピアノがうまいな」でした。レコーディングに立ち会っても「ああしなさい」「こうしなさい」と細かいことは一切言わない。京平先生はよく「本人に任せる。その人のキャラクターが死んでしまうから」とも言っていました。個性というのは自分を最大限に引き出すことと思われていて、自分に興味がないことでは個性は引き出せないという考えの人でした。京平先生にとっての興味は「声質」だったんですよ。「声が面白い(個性的な)人でなかったら興味がわかない」と。

自分の声が変わっているな、と感じたのは小学生の頃です。テープレコーダーで初めて聞いたとき、「これ、僕の声じゃない」と言ったら、親戚のおじさんに「これがひろみくんの声だよ」って。何度も再生して「こんな声なんだ。むちゃくちゃ変わっているな」というのが自分の声を聞いて初めて感じたことでした。だから京平先生も「面白い声をしているね」と興味をもってくれたのではないでしょうか。

《筒美さんの無限の才能に驚かされる》

先生のすごさは何千曲も作られ、しかもバリエーションがあることです。2枚目のシングルに『小さな体験』(47年11月)という曲があります。16ビートで始まって、8ビートに変わる曲で、これは最初、フルバンドが演奏できなかったんです。ビート変更をバンドが理解できなかった。それくらい時代の先端を行っていたんです。そうかと思えば『裸のビーナス』(48年6月)のように、「タタタ、タン、タタタ、タン、タタタ、タン」(歌詞は「かれんな、裸の、ビーナス」)とリット(リタルダンド=だんだん遅く)した後にア・テンポ(元の速さ)に戻るという、当時としては画期的な曲もありました。僕はまだ17、18歳で、音楽をちゃんとやっていたわけではなかったのですが、10年くらいたって京平先生から離れてから、その奥深さが分かったんです。そして一人でこんなにもいろいろな曲を書けることに、驚かされたんです。

僕の歌でバーティー・ヒギンズが書いた『哀愁のカサブランカ』(57年7月)がありますが、それと前後して歌った『お嫁サンバ』(56年5月)は小杉保夫さん、『2億4千万の瞳』(59年2月)は井上大輔さんが書いた。それぞれ作家が違いますから、違う楽曲になって当たり前なんです。でも京平先生は『男の子女の子』『裸のビーナス』『よろしく哀愁』と立て続けに書き、すべてにバリエーションが違っていたんです。(聞き手 清水満)

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