【島を歩く 日本を見る】思いを力に 無人から有人へ 鹿児島市新島 小林希 - 産経ニュース

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島を歩く 日本を見る

思いを力に 無人から有人へ 鹿児島市新島 小林希

【島を歩く 日本を見る】思いを力に 無人から有人へ 鹿児島市新島 小林希
【島を歩く 日本を見る】思いを力に 無人から有人へ 鹿児島市新島 小林希
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 鹿児島県の錦江(きんこう)湾奥に、周囲約2キロの小さな新島(しんじま)が浮かぶ。海を挟んだ南西約1・2キロ先には桜島が雄大にたたずみ、南岳から立ち上がる噴煙は仰ぎ見るほどの近さだ。

 新島は、桜島の安永大噴火により海底が隆起して形成された島の一つ。陸地では太古の貝化石層や海底シルト層が見られ、地質学的に非常に稀有な島として、桜島・錦江湾ジオパークの見どころ「ジオサイト」に指定されている。島内はアコウの木が枝から根を垂らし、モエジマシダが葉を広げるなど、南の島らしい亜熱帯性植物が見られる。

 新島に初めて人が移住したのは約220年前。薩摩藩の藩命で4家族が島へ渡った。島を囲む海域は好漁場で、豊漁の島として藩に大切にされたそうだ。後に伊能忠敬も実測のため上陸している。

 大正の噴火で大隅半島が桜島と地続きとなると、魚の回遊に変化が生じる。戦後のピーク時には250人ほどが暮らし、空き地がないほどのにぎわいだったというが、次第に漁業は衰退して、平成25年に最後の1人が島を出て無人島となった。

 島で生まれ育った佐々木和子さん(60)は、無人島になったことを知り、夫の直行さん(67)と島の五社神社へ向かった。

 久方ぶりの故郷は、桜島の降灰が膝まで積もり、ジャングルと化した姿だった。ナタを片手に進むと、朽ち果てた社と鳥居が待っていた。

 「なんとかしたいと思った」と佐々木夫妻は言う。それは、和子さんの亡き父の思いでもあった。

 週3日だけ就航している行政連絡船も廃止される可能性が浮上した。和子さんは同郷の姉妹と協力し、自力で島の清掃と神社復興を始めた。年を追うごとに有志が増えていき、8年がかりで延べ1千人が手伝い、島はふたたび息を吹き返した。令和元年に佐々木夫妻が島へ移住し、6年ぶりに有人島に戻った。

 「神様に呼ばれたのでしょう。島を復活させるのが私たちの役目。これから先は次の世代に託していきたい」と、凜然(りんぜん)と構える神社を前にして直行さんは語る。

 人の両手両足でできることはわずかである。しかし、思いの大きさには限界がない。かつて新島は「燃島(もえじま)」とも呼ばれていたそうだ。小さな炎が燃え上がり、力となった。今は「奇跡の島」と称されている。

■アクセス まず鹿児島市から桜島へ。桜島から週3日、1日3便の行政連絡船で約10分。

■プロフィル 小林希(こばやし・のぞみ)

 昭和57年生まれ、東京都出身。元編集者。出版社を退社し、世界放浪の旅へ。1年後に帰国して、『恋する旅女、世界をゆく-29歳、会社を辞めて旅に出た』(幻冬舎文庫)で作家に転身。主に旅、島、猫をテーマに執筆およびフォトグラファーとして活動している。これまで世界60カ国、日本の離島は100島をめぐった。令和元年、日本旅客船協会の船旅アンバサダーに就任。新著は『今こそもっと自由に、気軽に行きたい! 海外テーマ旅』(幻冬舎)。