東日本大震災では30局 臨時災害放送局の元祖が模索した45日間 - 産経ニュース

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東日本大震災では30局 臨時災害放送局の元祖が模索した45日間

東日本大震災では30局 臨時災害放送局の元祖が模索した45日間
東日本大震災では30局 臨時災害放送局の元祖が模索した45日間
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大災害の発生時に、自治体が被災者向けに情報をきめ細かく届ける臨時災害放送局は、平成7年の阪神大震災で、兵庫県が開局した「復興通信FM796フェニックス」を嚆矢(こうし)とする。県庁の一角に置かれた小さな放送局は、自らも被災したボランティアらによって支えられ、45日間と短期間ながら、身近な情報や被災者の意見を伝え続けた。その教訓は、中越地震や東日本大震災でも引き継がれた。

(藤原由梨)

自身も被災者たちがボランティアで

「JOAZ-FM。阪神・淡路大震災の被災地域のみなさん、こちらは兵庫県庁の2階に開局しました県災害FM放送局『FM796フェニックス』です」

7年2月15日正午、第一声でこう呼びかけたのは、現在「エフエムたじま」(豊岡市)でパーソナリティーを務める臼杵(うすき)良祐さん(53)。「声が震えた。どのような情報を伝えたらいいのか、不安もあった」と振り返る。

フェニックスの聴取エリアは神戸、尼崎、西宮、明石などの各市から淡路島まで。連日正午から午後8時まで8時間放送を続けた。自治体の災害対策本部からのお知らせと被災地リポート、ボランティア紹介などを番組の柱とした。

臼杵さんは民放テレビ局で約4年間アナウンサーとして働き、前年の12月に退職したばかりだった。西宮市の実家に戻っていたところ、自宅半壊の被災。それでも新聞で知ったボランティア募集に応じた。

勤めていたテレビ局では、原稿を正確に読み、VTRの映像につなげることが仕事だった。しかし、ラジオでは言葉だけで、誰にでも分かるように伝える必要がある。「代替(だいたい)を『だいがえ』と読んでくれと指示されましたね。『だいがえバス』のほうが、分かりやすいから。そんな読み方はしないと言うと、『ここはそういう放送局じゃない』と一喝されました」

当時、「頑張って」という言葉は使わなかった。被災者はもう、頑張っている。決まり文句を言うのはやめようと会議で決めた。

「被災者の1人としてみんながしんどい思いをしていることを伝えたかった」

「血の通った情報を」

臨時災害放送局は、放送法に基づき災害時に「その被害を軽減するために役立つこと」を目的に設立される。ただ、免許人になった県には、わずかな準備期間しかなかった。

震災発生から約半月後の2月6日、県から外郭団体に出向していた芝地稔さん(73)に「臨時災害放送局を担当してくれ」と命が下った。広報課で放送部門の担当をした経験を買われた。開局は9日後に迫り、閉局は3月31日に決まっていた。技術面はNHKのOBがサポートしてくれることになった。

ただ、人手が足りない。翌日から取材や編集、アナウンスができるボランティア募集を始め、30人超が応じた。そして、県庁一角にスタジオを設営できたのが開局の2日前。「廊下の突き当たりの小さな会議室で、壁に毛布を張って吸音できるようにした。野戦放送局のようだった」

臨時災害放送局は全国初の試みで、ノウハウはなかった。芝地さんは「被災者の近くにいるボランティアたちの提案を最大限採用しよう」と決めた。印象的な取り組みの1つは、女性ボランティアが提案した入浴施設の情報だ。「公衆浴場 東灘区。●●の湯、14時から20時半まで。銭湯××、10時から整理券配布。続いて灘区です…」。アナウンサーが情報を読み上げ続けた。「役所の感覚では血の通った情報にならない。役所が伝えたいものではなく、被災者が必要とする情報を伝えようとした」

3月に入ると復興に向けての胎動を紹介できるようになり、終盤では生活再建への提言も交えた。

芝地さんは「放送免許を出した郵政省(現・総務省)も、大規模災害時にFMをどう使うか、実験的な意味があったのでしょう。第一走者としての役割は果たせたのではないか」と総括する。

阪神大震災を教訓に審査迅速化

課題も残った。開設時期が被災約1カ月後と立ち上げが遅いと指摘を受けた。臨時局だけに存在が十分に周知されなかったことも指摘された。

臨時災害放送局に詳しい関西大の市村元(はじめ)客員教授は「大混乱の中でだれが聞いていたかなど、具体的な成果は分からないものの、新しいスキームが誕生し、道が開けたことが大事だ」とフェニックスが果たした役割を評価する。

その後発生した中越や中越沖地震などでは、既存のコミュニティーFMが臨時災害放送局に移行した。東日本大震災の発生当日、岩手県花巻市のコミュニティーFMに電話による申請で免許が出るなど、設置の審査は迅速化。東北3県と茨城県で30の局が設立された。

ただ、今後の臨時災害放送局のあり方について、市村さんは「ラジオは停電でも送信が途切れない強みがあるが、受信機やカーラジオを持つ人は減少している」とラジオの影響力の低下を懸念する。その一方で、広域のテレビなどでは取り上げられない地元密着の情報を発信し、SNSなどにうとい高齢者らにとって身近な音声放送は欠かせないと考える。臨時災害放送局への移行が期待されるコミュニティーFMの多くは経営が厳しいが、「インターネット放送の活用など、自立した経営を維持する手法はある。次の災害に備えて、改めてノウハウの継承が必要だ」と指摘している。