地元の声、文化のアーカイブにも ラジオが復興期にはたす役割 - 産経ニュース

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地元の声、文化のアーカイブにも ラジオが復興期にはたす役割

地元の声、文化のアーカイブにも ラジオが復興期にはたす役割
地元の声、文化のアーカイブにも ラジオが復興期にはたす役割
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 受信機があれば、電池だけで、いつでもどこでも情報を手に入れることができるラジオは、災害時の第一情報提供者(ファーストインフォーマー)として信頼されている。そのうえで、阪神大震災や東日本大震災など大規模災害を経て、緊急時だけでなく復興段階でも重要な役割を果たすことも分かってきた。中でも小規模で地域に密着したコミュニティーFM局は、住民が集まって思いを伝え合う場になれる。  

(粂博之)

情報の空白地帯を埋めるために

 「消防音楽隊だと思ってほしい。ふだんは人を楽しませ、いざというときは火災現場に出動する」

 雑誌記者として雲仙普賢岳(長崎県)の火砕流や東南アジアの風水害を取材した映画監督、近兼拓史さん(58)は、災害に備えて兵庫県西宮市にコミュニティーFM局を開設しようと署名活動を始めた。平成6年11月のことだ。

 当時、近兼さんは神戸市長田区に住んでいた。西宮市に着目したのは「大阪市と神戸市の中間に位置し、災害時には情報の空白地帯になる恐れがある。地元の情報を発信するラジオ局が必要」と考えたからだ。

 各方面で趣旨は理解されたが、設立資金をだれが負担するのか、どうやって収益を確保するのか、という問題に直面。市との折衝もなかなか進展せず暗礁に乗り上げていたところ、阪神大震災に襲われた。

 自宅は全壊し、悲惨な状況を目の当たりにした近兼さんは「生き残ったことに対する罪悪感のようなもの」を抱えながら「何かをしなければという気持ちが強くなった」。それは近兼さんだけではなかった。

 「あんたの言うてた通りや」「ラジオに協力しよう」と人が集まった。

 近兼さんは、私財を投じて機材を調達し、市内の障害者支援施設内に8畳ほどのスペースを借りて、7年7月、放送免許の必要のないミニFM局を開設。スペイン語で「光」を意味する「FMラルース」と名付けた。

 コンセプトは「等身大のまちを伝える」。被災者自身が避難生活での知恵から人生論まで、さまざまな内容をしゃべった。地元事業者の支援も得ながら、2度にわたってスタジオを移転し規模を拡大。救急措置や飯(はん)盒(ごう)炊飯、DJの体験といったイベントも企画した。

 小遣いで借りてきたレンタルCDを持ち込む子供たちもいるなど「みんな楽しくて仕方ないらしく、スタジオはいつもいっぱいだった」。放送を支えるボランティアの登録は最も多い時で4300人を超えた。

 「まちの放送局にするには、市民と行政、民間事業者が協力するかたちにしなければならない」という近兼さんの思いが実ったのは3年後。10年、ラルースは民間と市の出資によるコミュニティーFM局「さくらFM」に発展した。

■村民によるラジオが育む対話

 「復興、まちづくりにこそラジオは必要」

 こう指摘するのは大阪大学大学院人間科学研究科の渥美公秀(ともひで)教授(共生行動論)だ。西宮市の自宅で被災し、「FMラルースがまちを元気にするのを見た」ことが論拠となっている。そして今、東日本大震災の被災者支援のために赴いた岩手県野田村で、ラジオの力を生かそうとしている。

 平成23年から24年にかけて、岩手、宮城、福島の東北3県にはFM波の臨時災害放送局が次々と設立された。既存のコミュニティー局がその役割を担った8局も含め計26局。しかし、当時人口5千人を切っていた小さな野田村には、遠い存在だった。

 ただ、同村でも震災を機に「村民のための村民によるラジオ局を作りたい」という声があがった。住民有志による「のだむラジヲ開局準備会」が結成され、仮設住宅の集会所など限られたエリアで災害や避難に関する情報を放送。26年度には県域放送局の施設を活用した試験放送に参画するなど「村の復興、自らの未来を語り発信するためのラジオ」を目指していた。

 その後、渥美教授は同準備会と共同で、震災の記録を保存・活用する「声のアーカイブ」作りを兼ねたラジオ番組制作を企画。同行取材した朝日放送ラジオ(大阪市)のスタッフらが協力し、渥美教授の研究室の学生らもフィールドワーク実習として参加した。

 29年夏から秋にかけて村の人たちにマイクを向けていくと「本人がはっきり自覚していなかったことも、対話によって引き出すことができた」と渥美教授は言う。

 例えば、ある園芸店主は「花ではおなかを満たせない、自分は役に立てない、と思っていた」と打ち明けた。だが仮設住宅の寄せ植えをサポートし、店頭で接客しているうちに「花は心を満たすことができる」と知り、仕事に誇りを持つようになった経緯を語った。

 翌年もインタビューを重ね、限られたエリアにはなるが、番組として流し、地域のイベントに合わせて移動スタジオを開設するなど活動を広げていった。これらの取り組みが、村の人たちを結び付ける「地域アイデンティティー」をはぐくむと渥美教授はみている。

 「ラジオ局で働き続けられる人を確保できない」ことが悩みだが、すでに収録した40本近くのアーカイブ・ラジオ番組という財産がある。今年は3月11日に向け、村内の防災ネットワークを通じての放送、村を離れた人のためのインターネット配信などを検討しているという。「ラジオ」を続けようという機運は失われていない。