話の肖像画

歌手・郷ひろみ(9)巨人軍多摩川グラウンド事件 責任者は…

野球に夢中だった少年時代
野球に夢中だった少年時代

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《父親がかつての国鉄に勤務していたため、幼少期は東京・大井町の官舎で過ごした。みんなで遊んだ昭和時代…》

昭和30年代、小学生の遊びといえば、ベーゴマを回したり、缶蹴りとか、全部手作りの遊びでしたね。まだ東京にもいっぱい空き地があった。プレイステーションとかないし、いつも外で遊んでいました。しかも1年生が6年生に面倒を見てもらったりして、みんなで集まって遊んでいましたね。缶蹴りは負けてばかり。1年生の頃はいつも鬼だったんです。あるときみんなが缶を蹴っていなくなると、僕はスーッと家に帰った。もう馬鹿らしくなってね。すると家の前でみんなが背の順に並んでいたんです。当時テレビで人気の「チロリン村とくるみの木」という人形劇があって、僕と劇中の「クルミのクル子」が目がクリッとして似ている感じがしたのか、その歌を歌い出した。すると性懲りもなく僕も出ていってまた缶蹴りが始まる。でもまた鬼になって。ま、いい思い出ですよ。

《この頃、野球に目覚めた》

学年が上がると野球だったですね。巨人の王貞治さんが好きで『王貞治物語』という本をおじに買ってもらって読んでいたんです。長嶋茂雄さんではなく、王さんでした。僕は渋かったんですよ。でも体は小さかった。下から2番目くらいでしたが、野球は好きだった。品川区立伊藤中学校に入学するんですが、野球部がなく、渋々同好会を認めてもらいました。グラウンドもなく、土日に多摩川の河川敷へ行き、早い者勝ちで野球をやっていたんです。

ある日、中学校の創立記念日で多摩川に行ったんです。平日で巨人軍のグラウンドがものすごくきれいで、誰もいなかった。当時、僕はキャプテンで、みんなに聞いたら「やりたい」という。で、僕が責任を持つからと、金網を越えて巨人のグラウンドでやろうということになった。チームに高橋という男がいた。僕がピッチャーで高橋はキャッチャー、あだ名はラリゴと僕がつけた。ゴリラみたいな顔をしていてゴリラでは可哀そうだったから。

高橋は同級生だけど顔がおっさん、体も大きくひげも生えていたんです。その高橋が「原武(本名)が責任を持つっていうけど、最終的に俺が怒られるからいやだよ」って。「必ず僕が前に出るから」と説得して、みんなで金網を乗り越えて野球をやったんです。きれいなグラウンドはぐちゃぐちゃになったと思う。時間にして20、30分くらいだったと思います。

そしたら警備の人でしょうか、「コラ~ッ」って巻き舌で怒鳴りながらやってきた。「並べっ」「責任者を出せ」というので、「僕です」というと「子供は引っ込んでろ。あんた、いい年をして、お前だ」と高橋を指さした。「いや僕が…」というと「子供は引っ込んでろ」って。あれは忘れもしないですよ。結局、怒られた高橋が帰り際に「だから俺は嫌だっていったんだ」って。今となってはいい思い出ですね。でも本当にきれいなグラウンドでした。(聞き手 清水満)

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