朝晴れエッセー

拭いきれないもの・1月6日

ポンプを押して、両手をしっかり除菌する。鳥居をくぐると、参道の途中にある手水舎の前に除菌ボトルが置かれていた。

手水鉢からはいつもの潤いが消えていた。不便を超えたなんとも形容しがたい初めての気持ちに、食事が喉に詰まったような息苦しさを覚えたのだった。

手水鉢から柄杓(ひしゃく)でお清めの水をすくい手を洗うと、浄化されていく気がしていた。滝行は無理だが、これならと小さな行のようにも感じていた一連の儀式は、特別な意味を持っていたのだ。

そのうちお賽銭(さいせん)もスマホをかざして「ピッ」。そんな時代がくるのではないかしらと、変な妄想に襲われながら小銭をお賽銭箱に入れた。

お賽銭箱の中を旅する小銭の音にホッとした。コロナ禍で当たり前が当たり前ではないということが増えてくると、五感が刺激されることが際立って新鮮に思えた。

参拝へ行く前は、小銭をポケットに忍ばせておく。小銭の確保と、財布の出し入れでもたもたして迷惑をかけてはいけないと思っているからだ。

一番は、神様の前では心の背筋までも伸ばされるからかもしれない。

アナログならではの手間暇は参拝に限らず、生活の随所で周囲の人たちのことも意識するように鍛え上げられていく。

除菌と便利の追求は、一体いつまで続くのだろうか。消毒液では拭いきれないものを残して神社を後にした。

赤樫順子(46) 愛媛県宇和島市