震災の犠牲者を悼むため毎月11日の月命日に南浜町の広場で、空に向けてライトを点灯させる活動を5年ほど前から行っている。昨年12月も、同じように広場へと足を運んだ。師走の夜空に向かい、青い光の柱が一直線に伸びていた。
看板は老朽化に伴い、文字を塗りなおし、自宅から100メートルほど離れた場所に現在は移設されている。海に背を向け、住宅が立ち並ぶ方に向かって看板は立っている。毎年3月11日になると、看板には人々が集まり、犠牲者の冥福と復興を祈る場となった。ただ「復興に終わりはない。時間が流れているだけで、基本的には途中」と自らに言い聞かせる。
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「復興五輪」と位置づけられた東京五輪は、開催前に大きな試練にさらされている。聖火も到着し、聖火ランナーも内定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で1年延期に。地元でも、震災の年も絶えることのなかった石巻の夏の伝統行事「石巻川開き祭り」が昨年、感染拡大の影響のあおりを受け中止に追い込まれた。
「五輪は中止といわれるまで、(聖火ランナーとして)走るという気持ちは変わらない」といい、「大きなことはできないけれど、この石巻で生活しながら、自分たちができることをして、次の世代を災害から助けることができれば」と聖火ランナーとしての決意を込める。
震災後は自宅兼店舗を石巻市内の市街地に再建し、石巻を拠点として仕事に邁進(まいしん)している。聖火リレーでは、震災後にオープンした物産販売所「いしのまき元気いちば」や、新たに整備された「西中瀬橋」がコースに組み込まれた。今の石巻、今の被災地の姿を、聖火リレーを通じて多くの人たちに見てほしいと願っている。
「(被災地からの)思いを伝えることが、本当の『復興五輪』になる」。復興への思いを胸に刻みながら、故郷を駆け抜ける。(塔野岡剛)
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【黒沢健一(くろさわ・けんいち)】 昭和46年2月18日生まれ。宮城県石巻市出身。同市内の高校を卒業後、同県気仙沼市、石巻市の会社勤務を経て、36歳のときに独立し「黒沢配管工業」を設立した。妻と2人暮らし。