正論2月号

先人に倣う 「自由主義」貫いた河合栄治郎 国家基本問題研究所主任研究員 湯浅博

 ※この記事は、月刊「正論2月号」から転載しました。ご購入はこちらをクリック

 自由世界を率いてきた超大国のアメリカが変調をきたし、パンデミック禍にもがくうちに、一党独裁の中国が強権政治の優位性を声高に唱え始めた。日本人の中にも、全体主義の憑神がささやく「日中友好」という美名に幻惑され、知らぬ間に祖国日本に弓を引かされている人々がいる。

 つい先ごろも、日本の国公私立大学の四十五大学が、中国人民解放軍に軍事技術を提供する通称「国防七子」という七大学と学術交流をしていたとの報道にはがく然とした。とりわけ、ナノテクノロジーの北海道大学など先端技術をもつ日本の九大学が危うい共同研究を行っていた。

 習近平政権は「軍民融合」を掲げ、これら大学や民間企業の技術を軍事に吸い上げている。日本の技術が人民解放軍の兵器に使われ、やがて日本に刃を向けてくることになりかねない。

 しかし、自由世界には、研究者が自らを律する「学問に国境なし、学者に祖国あり」というパスツールの有名な言葉があるはずである。戦時下の日本で、左右の全体主義と闘って斃れた東京帝大教授の河合栄治郎は、終生、この言葉を実践した碩学であった。日本の自由な社会は、アメリカ占領軍によってのみでなく、河合ら戦闘的な自由主義知識人の犠牲の上に築かれたことを肝に銘じるべきだろう。

 自由な社会は、開かれている分だけ正も邪も入りやすく、全体主義の誘惑にのってしまうと一気に崩れ落ちる。

 河合が死を賭して守ろうとした「自由の気概」とは、どのようなものなのか。歴史の転換点に立って、圧倒的な敵に挑んだ思想家、河合栄治郎の闘いを通して、巨大な全体主義国家と向き合う日本の基軸とは何かを考えたいと思う。

■学問に国境なし 学者に祖国あり

 戦時下に東京帝国大学教授の座を追われた河合栄治郎は、個人の尊厳、人格主義を基礎としながら、自由主義を実践する「自由の殉教者」であった。昭和初期に「左」の全体主義、マルキシズムが大学や論壇を席巻すると、自由主義の立場から果敢に闘いを挑んだ。マルキシズムの矛盾点とその危険性を批判し、たとえ左派から「保守反動」と罵倒されてもひるむことがなかった。