反面教師としての米国社会、歴史的感覚の回復を…先崎彰容「鏡の中のアメリカ」

先崎彰容・日本大教授
先崎彰容・日本大教授

 先ごろ行われた大統領選をめぐり、あらためて社会の分断状況が浮き彫りになった米国。維新以降、近代のモデルとしてずっと日本に影響を与え続けたこの国の今を、気鋭の日本思想史家はどう見たのか。先崎彰容・日本大教授(45)の新著『鏡の中のアメリカ 分断社会に映る日本の自画像』(亜紀書房)は、過去に米国に滞在した先人の足跡を追いつつ、コロナ禍前の米国を旅した思想史エッセーだ。  

(文化部 磨井慎吾)

一瞬で実感する多様性

 政権交代が確実になった米大統領選について、「トランプ大統領が去っても、(社会の分断から生まれたポピュリズム運動である)トランプ現象自体はまだ続くと思いますね」と話す先崎教授。実際に目にした米国社会の状況から、そう判断したのだという。

 肌の色も体つきも、宗教も民族的アイデンティティーも異なる多様な人種が混在し、かつ貧富の差も激しい米国では「身体的なものも含めて、眼で見た瞬間に多様性がいや応なく実感できる国」だと言い、その上でこう指摘する。

 「多様性は、悪く作用すれば分裂となる。見た目からしてバラバラな人々を統合するために、そこらのスーパーにまでやたらに国旗を立てて、常に『ユナイテッド・ステイツ』を意識させる必要があるほど分裂している社会から生まれた理念だ。その多様性を、無意識のユニット(結合)がある日本が流行に乗って言葉だけ輸入してうわべをなぞるような運用をすれば、微細な差をことさらに強調して糾弾し、逆に分裂を生む結果にならないか」

150年前と現在

 先崎教授は昨年夏、所属大学から与えられた1カ月強の短期サバティカル(研究休暇)で米国を初訪問し、訪米日本人に関係する資料調査や受け入れ先大学での研究、講演などを行った。本書はその記録でもある。前回の東京五輪前後に米国に留学した文芸評論家の江藤淳(1932~99年)や劇作家の山崎正和(1934~2020年)の米国体験記も参照されるが、中でも特に注目するのが、明治4(1871)年に当時の政府首脳らが1年以上かけて欧米諸国を実見して回った岩倉使節団の旅だった。

 150年前に太平洋を渡った使節団と同じく、まずサンフランシスコに降り立った先崎教授は、彼らが滞在したホテル跡地を訪れる。先人はホテルの床に敷き詰められた絨毯(じゅうたん)ひとつにも物質文明の豊かさを見て感嘆し、公衆の啓蒙を図る動植物園を視察しては彼我の科学教育の格差を痛感した。ひるがえって今日、そんなことで驚嘆する日本人はいない。船便で1カ月以上かかった米国西海岸はわずか9時間のフライトでたどり着けるようになり、はるかに遠い文明の先進地だった米国との距離は物心両面で大きく縮まったが、「近くなった分、米国の悪い面もよく見えるようになり、特に1990年代以降のグローバル化の進展では日米ともに社会が荒廃していった。ずっと『学ばなければならない存在』だった米国が、今はこんな形になっているというのを追う旅でもあった」と語る。

歴史の中に散歩する

 いまや米国を旅するよりも、自国の歴史をさかのぼる方が感覚的に遠い時代となった。エッセーとしては、歴史への関心がない若い世代を過去にいざなうことを目指し、平易で静かな筆致を心がけた。「散歩するように歴史の中に近づき、また現代に帰るような叙述を意識した」。過去からつながる歴史的時間軸の中にわれわれが存在しているという感覚が失われた社会は、危ういとの認識があるからだ。

 「最近の内閣支持率の乱高下を見ても分かるように、現代は同じ人について非常に短期間のうちに好きになったり嫌ったりし、反射的な一喜一憂を繰り返す時代。そうやって日本全体の自己同一性が揺らいでいる中で、歴史的時間をどう取り戻すかが大事になってくる」

 歴史的感覚の喪失や、社会の分断と荒廃という点において、現代日本が陥っている混乱をさらに過激に進め、壊れているのが米国だとすれば、もはや単純に米国をモデルにすればいいという時代ではなくなっている。米中対立のはざまで国力の衰退期を迎えた日本は、これからどういう国家像を描いていけばいいのか。

 「単に民主主義、自由と言っていればそれで済むわけではないので、歴史を振り返り、日本なりのアイデンティティーをつくることが目下の課題だと思いますね」

 せんざき・あきなか 昭和50年、東京都生まれ。東大文学部卒業、東北大大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。専門は近代日本思想史。現在、日本大学危機管理学部教授。著書に『ナショナリズムの復権』『バッシング論』など。