新型コロナウイルスの影響で、今夏に延期された東京五輪・パラリンピック。競技人生の選択を迫られ、現役引退を決意したアスリートもいた。フェンシングで五輪を目指す静岡県沼津市出身の鈴木穂波選手(26)も、そんな境遇を経験した。職を失い、一時は引退も頭をよぎった。しかし、フェンシングへの情熱と持ち前の前向きさでピンチを乗り越え「チャレンジし続ける限り、可能性はゼロじゃない。常に全力を尽くす」ことで成長があると信じて夢舞台の実現、そして子供の教育へ携わりたい思いへ邁進(まいしん)する。(松本恵司、岡田浩明)
五輪の舞台に立ちたい
2008年北京五輪。女子ソフトボール日本代表が悲願の金メダルを獲得した。決勝をテレビで偶然見た中学2年の鈴木の人生が転回した瞬間でもある。
それまで五輪に関心はなかった。スポットライトを浴びて踊る格好良さに憧れ、将来はミュージカルダンサーになりたいとダンスを習い、新体操部に入っていた。なのに「何で私泣いてるの」と驚くほど、感じたことのない感動にとらわれた。メダルの歓喜とは別に「チームが一つになり、何かのために戦っているというのが伝わってきて涙が出て。私もそういうふうになりたい」と、五輪を目指す進路を歩むことになった。
フェンシングのエペを選択したのは「競技人口が少なく、強くなれば五輪に出やすい」という、ちょっと天然な選び方には照れ笑いを浮かべる。
ただ、あっという間にのめり込む。「毎日練習しないと不安だった」という努力が結実し、15年にはU23アジア選手権に出場。16年に全日本フェンシング選手権で個人3位になり、17年には世界選手権など国際大会に進出。日本オリンピック委員会(JOC)の強化指定選手となるまでに成長した。18年にJOCのトップアスリート就職支援事業「アスナビ」を活用して就職し、年約500万円の遠征費も負担してもらえた。
ところが、新型コロナで人生が一変した。