コロナで一変した人生
会社から急な呼び出しだった。コロナ禍で海外遠征から急遽(きゅうきょ)帰国していた。ウエディング関係で業績悪化は予想がつき、良い知らせではないと予感した。だから競技をやめて正社員になるか、退職かの選択を求められても「心の準備はできていた」と明かす。
だが2週間の猶予をもらって帰宅すると「フェンシングを続ける価値が自分にはあるのか」と葛藤した。競技を通じて人としても成長したい。「人に何かを与えてもらうだけじゃなく、自分でやってきた何かを共有できる人になりたい」とも。会社を辞める決意と、就職活動の覚悟ができた。
約20社に手紙を送った。良い返事はなかなかなかったが、くじけない。「人格形成期の重要な時期の子供の教育に携わりたい」とも考えるようになり、大学で取得した中学・高校の教員免許に加え、幼稚園と小学校の免許も取ろうと通信教育講座に申し込んだ。練習の合間に2~3時間の勉強をするのは「思った以上に大変」だが、「(今年)資格が取れる予定」と声を弾ませる。
コロナで苦境に立つアスリートの姿はテレビ・新聞などに取り上げられた。すると、今の勤務先の社員が目に留め「地元アスリートを応援したい」と社長に採用を直談判してくれた。フェンシングを通したまちづくりを進める沼津市に本社を置く企業として快諾。昨年10月、瞬く間に就職にこぎつけた。
別の企業に高額な遠征費がネックで断られたばかりだっただけに「こんなことがあるんだ」と感謝しきり。社長を含めて気にかけてくれ、期待されていることに、うれしさを感じる。「一番は試合に勝つこと、今より成長しステップアップすること」が恩返しだ、と練習にも熱がこもる。