入社から14年目を迎え、これまでに9回引っ越しをした。記者に転勤はつきものだが、割と多いほうだと思う。
新天地でまず探すのは、喫茶店だ。入り口に新聞が3紙積まれた店を見つけたら、迷わず常連になってしまう。
会社や自宅ではなかなか進まない原稿執筆が、喫茶店では不思議なほどスムーズに進むこともある。真剣な表情で新聞紙面に視線を向けている他の利用客を見ると背筋が伸びるし、隣の席で本紙国際面を読んでいる人に遭遇した際は、じかに接することの少ない読者の存在を感じられたりもした。なくてはならない「第二の職場」だ。
時節柄最近はなかなか利用できないが、先日久々に店内で作業をしていると、近くに座っていた年配男性2人組の会話が聞こえてきた。「日本の新聞は買収されていて、中国に言いなりのバイデンを悪く書けないんだよ」。男性の1人が、バイデン前副大統領が勝利した米大統領選の報道について解説していた。
大統領選をめぐっては選挙不正などの事実を知りながら、メディアが意図的に情報を歪曲(わいきょく)したとする「陰謀論」が広がった。「トランプ大統領が勝利した事実を伝えていない」と、外信部にも苦情のはがきやメールが届く。
「少数の人が、SNS上で大勢が騒いでいるように見せかけているだけだ」「淡々と事実を報道する姿勢を貫けば読者の理解を得られる」。社内でもいろいろな意見があるが、個人的には「良い記事を書く」だけでは、読み手との距離は広がる一方だと感じている。巨大なネット社会で、誰かに情報操作されているような不安を抱えるのは、記者である自分も同じだ。なかなか報道を信用できないのも、無理はないと思う。
「コーンフレークは生産者の顔が見えない」は漫才コンビ、ミルクボーイの有名なボケだが、私は記者として「顔が見える記事」を作りたい。喫茶店の隣の席で、締め切りを過ぎて電話でデスクに怒られつつ、一つ一つの言葉遣いに悩みパソコンと格闘している私の姿からは「陰謀」のような壮大なものと縁がないのは一目瞭然だろうとも思う。
形がいびつで虫食いの商品もありますが、無農薬でやってますんで、そこは少し目をつぶってやってください。
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【プロフィル】時吉達也
3年間の韓国留学を経て平成19年入社。社会部で裁判・検察取材を担当し、28年から外信部。平昌五輪や南北・米朝首脳会談を現地で取材した。