話の肖像画

東京五輪金メダル1号、重量挙げ・三宅義信(81)(13)王者から指導の道へ

現役を引退後は自衛隊に残り、指導者の道を志した
現役を引退後は自衛隊に残り、指導者の道を志した

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《引退か、現役続行か。多くの選手は4年に1度の五輪を区切りに、その後の人生を決めていく。昭和43(1968)年メキシコ五輪重量挙げ(フェザー級)で連覇を達成した28歳の胸中には、新たな夢が芽生えていた》

メキシコ五輪の表彰式後、記者に「次は3連覇ですね」と問われ、私は「指導者の勉強をしながら、もし(選手として)チャンスがあればチャレンジしたい」と答えているんです。実際、競技の第一人者としては体力的な衰えを感じており、頭の中には弟(義行、メキシコ五輪銅)にいかにバトンをつなげていくか、という考えがあった。次は金メダルを取れる選手を自分の手で育てたいという夢が芽生えていたのです。

とはいえ、ここで引退を表明すれば私を避けてきた世界中の選手がフェザー級へなだれ込んでくる。47(1972)年ミュンヘン五輪までの4年間は弟の「盾」となり、競技を続けながら、自分の後継者である弟を育てていこうと決意しました。

《44年4月、自衛隊体育学校(埼玉県の朝霞駐屯地内)の選手兼監督に復帰する》

メキシコ五輪で銅メダルを獲得した弟は当時、企業に所属していました。ミュンヘンで金を取らせるためには、私のもとでトレーニングをさせることが必要だと考え、弟も所属していた企業の社長の理解を得て、体育学校に入ることを決心。これで義行を直接指導する態勢が整った。

「私のまねをしなさい」。弟には一番にそう伝えた。強くなるには、強い人のまねをすること。高校2年から競技を始めた私には常に、目標とする人物がかたわらにいた。24時間態勢で技術だけではなく、練習方法や環境作り、選手としての生き方などを、その人から学んで吸収する。そこから自分の「道」を切り開いていける人こそ、強くなれるんだと思っていました。そんな私のメニューをきちんとこなした弟は順調に実力を伸ばし、これなら心配はないというところまできていた。

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