このシリーズ、上田利治監督は主砲・長池徳士をスタメンから外し、代打に回した。打力は落ちるが「守りを固めてじっくり戦う」という戦法だ。
①福本(中)②大熊(左)③加藤秀(一)④マルカーノ(二)⑤ウイリアムス(右)⑥森本(三)⑦中沢(捕)⑧大橋(遊)-守備力と打撃力、バランスの取れた布陣である。
◇第3戦 10月27日 西宮球場
巨人 002 000 010=3
阪急 400 030 03×=10
【勝】山田1勝 【敗】加藤初1敗
【本】マルカーノ①(小林)
この打線が火を噴いた。一回、1死から大熊が左前安打。2死となったがマルカーノが左中間を破るタイムリー二塁打。続くウイリアムスも左中間へ連続二塁打。2死満塁から大橋が2点タイムリーを放って一挙4点。さらに五回には無死一、二塁でマルカーノが2番手の小林から右翼へ3ランを放った。
4番ボビー・マルカーノと5番バーニー・ウイリアムス。昭和49年オフ、上田監督自らが渡米し獲得した〝助っ人〟である。そこにはある人物の協力があった。
当時、広島カープの在米スカウトを務めていた平山智。カリフォルニア州出身の日系アメリカ人。30年にカープに入団し、強肩で闘志あふれるプレーから「フィーバー平山」と呼ばれた。37年から4年間コーチを務め、退団後は米国へ戻り、ホプキンスやライトル、ギャレットら少ない資金で日本の野球に合う優秀な選手を数多く発掘した。
上田監督は「オレは短気ですぐ監督と喧嘩(けんか)した。女房に〝ユニホーム返してこい!〟とよく怒鳴った。そのたびに女房が相談に行ったのが当時、コーチだった平山さんの家。オレにとって〝兄貴〟のような存在だった」という。
渡米した上田監督は平山に相談した。「たとえ力があっても、日本の野球をダメにする選手は紹介しない。2人とも性格のいい、日本向きの選手。必ず働くと思うよ」と勧められたのがボビーとバーニー。そのあとウインターミーティングに出席。多くのメジャーリーガーの売り込みに合った。実績は2人より上。目移りした。迷った結果、「平山さんの目と言葉を信じよう」と上田は決めた。
阪急3連勝。巨人を追い詰めた。(敬称略)